しあわせになる英語 English for Happiness

日曜更新。人生に役立つバイリンガルの学び。

「ダライ・ラマ 宗教を越えて」その6。慈悲心(compassion)とは、何をされても抵抗しない心?

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慈悲・思いやり(compassion)は、ある意味、心の弱さであり、何をされても抵抗しない
態度につながる、だから、私には関係ない。と考える方が少なからず存在すると
言います。とくに正義の観点から、不正に対しては慈悲など無用で、断固戦うべきと
いう主張があるのです。これは、多くは、慈悲に関する誤解から来ているものだと
言います。ダライ・ラマの言葉に耳を傾けてみましょう。

 

Nothing in the principle of compassion――the wish to see others relieved of
suffering――involves surrendering to the misdeeds of others. Nor does compassion
demand that we meekly accept injustice. Far from promoting weakness or passivity,
compassion requires great fortitude and strength of character.

慈悲とは他者を苦しみから解放してあげたいと希うことであり、他者の悪行に屈する
ことを意味するのではありません。また慈悲は不正に甘んじることを求めるものでも
ありません。弱くあること、受動的であることを推奨するものではなく、堅忍不抜
(けんにんふばつ)の精神を求めるものなのです。

 

We might illustrate this point, about the need to stand up to injustice while maintaining
a compassionate concern for the wrongdoer, with an example at a personal level.

不正に対しては確固として立ち上がるべきですが、その一方で不正を冒した人への慈悲
の心を忘れてはいけません。そのことを身近な例をひいて説明してみましょう。

 

Imagine yourself with difficult neighbors, who repeatedly behave aggressively toward
you. What is the appropriate compassionate response? In my understanding, there is no
reason why compassion, including of course compassion toward the aggressors, should
prevent you from making a forceful response. Depending on the context, a failure to
respond with strong measures, thereby allowing the aggressors to continue their
destructive behavior, could even make you partially responsible for the harm they
continue to inflict.

近所にうるさい人がいて、しばしばあなたに対して攻撃的な態度を取ってくる。それに
対してどう対応するのが正しいのでしょうか?私の理解するところ、慈悲の心が――
迫害者への慈悲の心をふくめ――あるからといって、確固たる対応を取ってはいけない
ことはないと思います。確固たる対応を取らなかったせいで、迫害者はさらに増長し
攻撃的な行動を取りつづけるかもしれません。それによってもたらされた害悪の責任の
一端はあなたにもあることになります。

 

In addition, doing nothing to oppose such behavior in effect encourages those
unfortunate persons, with the likely consequence that they will move on to even more
destructive behavior, bringing still greater harm to others and, in the long run, to
themselves. The only way to change a person’s mind is with concern, not with anger or
hatred. Physical or violent measures can only restrain others’ physical behavior, never
their minds.

放置しておくと相手がそこにつけこんで、さらに攻撃的な態度を取り、危害は第三者
に、ついには迫害者自身にまでおよぶかもしれません。怒りや憎悪によって人の心を
変容させることはできません。ただ相手を思いやることのみが、人の心を変容させるの
です。物理的な手段で抑制できるのは、相手の物理的行動だけで、心を変えることは
できません。

 

There is a story from southern Tibet about a person who tells a friend, “Such and such
person hit me once, I kept quiet; he hit me twice, I kept quiet; he hit me three times,
I kept quiet; he kept hitting me, still I kept quiet.”

チベットにこんな話があります。ある男が友人にこんな打ち明け話をしました。
「何某から一発くらわされたが、俺は黙っていた。また一発くらわされたが、やはり
黙っていた。三発目もくらわされたがやはり黙っていた。それからも殴られつづけた
が、それでも俺は黙っていた」。

 

This is an illustration of what compassion is not. This is meekness, and it is not the right
way. What is required in the face of injustice is strong compassion!

慈悲の心というのはそのようなものではありません。それは弱さであり、このような
振る舞いは正しいとはいえません。不正に直面したときには、強い慈悲の心をもって
それに立ち向かってください。

 

Beyond Religion: Ethics for a Whole World

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ダライ・ラマ宗教を超えて

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