しあわせになる英語 English for Happiness

日曜更新。人生に役立つバイリンガルの学び。

「なぜ今、仏教なのか」その8。マインドフルネス瞑想を徹底すると無感情になる? 愛が薄れる?

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瞑想を徹底すると、ブッダの教えである、「ものごとへの執着をなくすこと」が、
どんどん実現できてゆくと言います。しかし、これはイコール、欧米でよく言われる
「仏教を実践すると無感情な人間になる」ということではないのか? ――ひとつの答え
を本著よりご紹介します。バイリンガルで、どうぞ。

 

Or, to take another example, will parents who meditate intensively come to love their
offspring less intensely? Indeed, doesn’t the whole idea that you should let go of your
attachments encourage, in some sense, less parental love as we’ve always known
parental love?

あるいは、瞑想に徹底して取り組んだ親は子どもへの愛情が薄れてしまうのだろうか?
というより、執着を手放すべきだという仏教の思想は、私たちが以前から知っている形
の親の愛をある意味で控えるようにうながしているのではないか。

 

If you ask the average meditation teacher a question like this, you’ll hear something to
the effect that, no, meditative practice won’t negate your love or even subdue it, but may
change its nature.

平均的な瞑想指導者にこうした質問を投げかけると、つぎのような答えが返ってくる。
瞑想を実践したからといって愛は無効にならないし、減ることもないが、愛の性質は
変わるかもしれない。

 

Maybe, for example, parental love will become less possessive. And, who knows, maybe
that will produce a happier parent and a happier child than a more anxious, more
controlling kind of love would produce.

たとえば、親の愛は独占欲の強くない愛に変わるかもしれない。こればかりはなんとも
いえないが、もしかすると、不安の強い愛や支配欲の強い愛のもとでより、幸せな親と
幸せな子になれるかもしれない。

 

For practical purposes, that’s a fair answer. So far as I can tell, enhanced personal
relationships――with kin and with nonkin――are a much more likely result of meditative
practice than the opposite.

実用性の点ではまずまずの答えだ。私の知るかぎり、瞑想をすることで、肉親とも肉親
でない人とも人間関係が改善する可能性は悪化する可能性よりはるかに高い。

 

After all, one virtue of mindfulness meditation is that experiencing your feelings with care
and clarity, rather than following them reflexively and uncritically, lets your choose which
ones to follow――like, say, joy, delight, and love. And this selective engagement with
feelings, this weakened obedience to them can in principle include the feelings that
shape the essence we see in things and people.

マインドフルネス瞑想のよい点は、自分の感覚に無批判に反射的に従うのではなく、
感覚を注意深く明晰に経験することで、喜びなり楽しみなり愛なり、自分が従いたい
感覚を選べることだ。感覚とのこのような選択的なかかわり方、つまり感覚のいいなり
にならないかかわり方には、私たちがものや人に見いだす本性を形づくっている感覚
とのかかわり方も原理上は含まれる。

 

いかがでしたか? 最後の「本性(essence)」への言及は、いきなりなので、かなり
難しかったかもしれませんが、これは、私たちがものごとを知覚するときに、その中に
何か実体のあるものすなわち「本性(essence)」を見ようとするが、それは錯覚に
すぎない、すなわち、すべては「空(emptiness)」であるという仏教の教義から来て
います。興味のある方は、本著に詳しい解説があるので、そちらをお読みください。

 

 

 



Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment

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なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

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