しあわせになる英語 English for Happiness

日曜更新。人生に役立つバイリンガルの学び。

「なぜ今、仏教なのか」その9。「無我」あるいは「世界と一体になる」? 瞑想体験の具体例。

 

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マインドフルネス瞑想を実践しているとき、そもそもどういう状態になれば、「無我の
境地」に近づいたと言えるのか。この質問に対して、著者ロバート・ライトは、自身の
経験を生々しく描写しており、興味のある方は、どなたでもご自分の瞑想経験と比較
してみることができると思います。抜粋をバイリンガルで、どうぞ。

 

It was the fourth or fifth day of a meditation retreat. I was sitting on my cushion, legs
crossed, eyes closed, as usual. I wasn’t making a point of focusing on any one kind of
thing――not particularly on sounds, not particularly on emotions, not particularly on
physical sensations. My field of awareness seemed wide open; my attention moved
easily from one part of it to another, resting lightly on each new perch, and meanwhile
a sense of the whole remained.

ある瞑想合宿の四日めか五日めのことだ。私はいつのように、クッションのうえで足を
組んで目を閉じていた。何か一つのことに集中していたわけではなく、音にも、感情
にも、身体感覚にもとくに意識を向けていなかった。自分の気づきの領域が大きく
あけはなたれているようだった。ある部分からほかの部分へと注意がらくに移動し、
新しい止まり木に移るたびにちょっと止まって休み、休んでいるあいだも残りの全体を
感じていた。

 

At one point I felt a tingling in my foot. At roughly the same time, I heard a bird singing
outside. And here’s the odd thing: I felt that the tingling in my foot was no more a part of
me than the singing of the bird.

ある時点で、足がじんじんしびれるのを感じた。ほとんど同時に、外で鳥がさえずって
いるのが聞こえた。そしてここが奇妙なところだ。鳥のさえずりが自分の一部でない
のと同じくらい、足のしびれが自分の一部でないように感じたのだ。

 

You may ask: Was I feeling that the singing of the bird was actually a part of me? Or was
I feeling that the tingling in my foot wasn’t a part of me? To put a less fine point on it: Did
I feel like I was at one with the world, or was I closer to feeling like I was nothing?

みなさんはこう思うかもしれない。私は足のしびれが自分の一部でないように感じた
のか。それとも、鳥のさえずりを自分の一部のように感じたのか。もっとありていに
いうと、自分が何もないような感覚に近づいていたのか、それとも自分が世界と一体に
なったように感じたのか。

 

For starters, let me emphasize that if this experience makes me crazy, I’m in good
company. I’ve had several chances to describe the experience to truly accomplished
meditators――some of them monks, some of them famous meditation teachers――and
invariably they’ve recognized the kind of experience I’m describing as one they’ve had.

まず強調したいのは、この経験で私の頭がおかしいことになるなら、私にはよい仲間が
いるということだ。これまで何度か、本当に熟練した瞑想家に自分の経験を説明する
機会があった。僧侶もいれば有名な瞑想指導者もいるが、ひとりの例外もなく、私が
説明しているような経験を自分も経験したことがあると言っていた。

 

What’s more, it’s a kind of experience that, they tend to believe, is very important,
Indeed, I might go so far as to say that this is the central experience of Buddhism. Not
central in the sense of most profound or most important, but, rather, central in the place
it occupies in the landscape of Buddhist philosophy: the place where Buddhism’s two
fundamental, crazy-sounding but arguably valid concepts――not-self and
emptiness――come together. It’s a kind of grand unifying meditative esperience.

そのうえ、瞑想家たちはこの種類の経験をとても重要だと考える傾向があった。
それどころか、極言すればこれこそ仏教の中心となる経験といえる。もっとも深いとか
もっとも重要だという意味での中心ではなく、むしろ仏教哲学という分野の中心的な
位置を占めるということだ。ばかげて聞こえるけれどおそらくは妥当な仏教の二つの
概念、無我と空(くう)がここで一つになる。二つを大統一する瞑想経験といっていい。

 

 

  

 

Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment

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なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

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