イギリスで大人気となり、気軽にできる瞑想アプリがあることで世界中に広まった本著
のキイワード「headspace」は、日本語では「からっぽ」という訳がついています。
瞑想で「幸福」ではなく「からっぽ」をめざすというユニークな主張をしている
ことが、宗教色を排したマインドフルネスとして広く受け入れられている理由のひとつ
かもしれません。元僧であり、現在はイギリス保健医療委員会公認の臨床瞑想
コンサルタントとして大活躍している著者の言葉に耳を傾けてみましょう。
バイリンガルで、どうぞ。
Stuff happens. And that “stuff is not always nice. As much as we try to ignore the fact, life
can be difficult, stressful, upsetting and even painful at times. So the type of happiness
that just comes and goes dependent on our circumstances and mood is too temporary,
too unstable, to offer us any lasting sense of calm and clarity.
人生にはいろいろなことが起こります。いいことばかりではありません。人生には困難
やストレス、動揺や苦痛がつきものであり、どれだけ目をそらそうとしてもそれは
変わりません。状況や気分に左右される一過性の幸福は、短すぎ、不安定すぎて、
持続的な落ち着きや深い理解を与えてはくれません。
That’s why I prefer the word “headspace”. It describes an underlying sense of peace,
a feeling of fulfillment or unshakeable contentment, no matter what emotion might be in
play at that time. Headspace is not a quality of mind dependent on surface emotions; this
means it can be experienced just as clearly in periods of sadness or anger as it can in
times of excitement and laughter. Essentially it’s “being okay” with whatever thoughts
you’re experiencing or emotions you’re feeling.
だから私は「からっぽ」という言葉を選びます。これは、その時の一時的な感情が
どうあれ、つねに心の底にある落ち着きや充実感、揺るぎない満足感をあらわして
います。「からっぽ」は表面的な感情に左右されません。たとえ悲しみや怒りの中に
あっても、喜び笑っている時と同じようにはっきりと感じられるものです。本質的
には、どんな思考が渦巻いていても、どんな感情を抱えていても「平気でいられる」
ということです。
That’s why meditation feels so good, often even the very first time. It doesn’t
(necessarily) leave you rolling around in laughter or swinging from the chandeliers, but it
leaves you with the sense of having touched upon that underlying sense of contentment,
that place where you just know that everything is okay. The consequences of this can be
life changing.
たとえ瞑想がまったくはじめてでも、いい気分になれることが多いのはこのためです。
笑いころげたり、踊りだしたくなることは(普通は)なくても、心の底にある充実
です。これは人生を一変させるほどの効果があります。
The distinction between headspace and the emotion of happiness is an important one.
For some reason we’ve come to believe that happiness should be the default setting in
life and, therefore, anything different is somehow wrong. Based on this assumption we
tend to resist the source of unhappiness――physically, mentally, and emotionally. It’s
usually at this stage that things get complicated.
この「からっぽ」と「幸福という感情」の区別は重要です。私たちはなぜか、幸福
こそが人生のあるべき状態であり、そうでなければ何かが間違っていると思い込んで
います。この思い込みに基づき、私たちは肉体的にも精神的にも感情の上でも、不幸の
原因に抵抗しようとします。ものごとがややこしくなるのはたいていそこからです。
Life can begin to feel like a chore, and an endless struggle to chase and maintain that
feeling of happiness. We get hooked on the temporary rush or pleasure of a new
experience, whatever that is, and then need to feed it the whole time. It doesn’t matter
whether we feed it with food, drink, drugs, clothes, cars, relationships, work, or even the
peace and quiet of the countryside. If we become dependent on it for our happiness,
then we’re trapped. What happens when we can’t have it anymore? And what happens
when the excitement wears off?
毎日が幸福という感情を追い求め、それを維持しようとする終わりのないレースの
ように感じられ、人生が苦役のように思えてきます。何か新しい体験がもたらす
一時的な高揚感や快感に夢中になり、やがては四六時中それを自分に与え続けなければ
ならなくなります。それが食べ物であれ、酒やドラッグや洋服や車であれ、人間関係
であれ、仕事であれ、はたまた田舎の静けさやのどかさであれ、幸福がそれらに左右
されるようになったら、泥沼にはまったも同然です。それがもう得られなくなったら
どうなりますか?興奮が冷めてしまったらどうなるのでしょう?
For many, their entire life revolves around this pursuit of happiness. Yet how many
people do you know who are truly happy? And by that I mean, how many people do you
know who have that unshakeable sense of underlying headspace? Has this approach of
chasing one thing after the next worked for you in terms of giving you headspace? It’s as
if we rush around creating all this mental chatter in our pursuit of temporary happiness,
without realizing that all the noise is simply drowning out the natural headspace that is
already there, just waiting to be acknowledged.
多くの人にとって、全人生がこの幸福の追求を中心に回っています。けれども、本当に
幸せな人がどれだけいるでしょう。つまり、頭がからっぽになったことをたしかに
感じられている人がどれだけいるでしょうか。次から次へと何かを追い求めるやり方
は、からっぽの状態をもたらしてくれたでしょうか。私たちは一時的な幸福を追い
求めて走り回り、頭の中でしゃべり続けています。そのせいで、いつもそこに存在し、
ただ気づかれるのを待っている自然な「からっぽ」がその騒音にかき消されていること
にさえ気づきません。
いかがでしたか?仏教に深い関心を抱いており、これまで、ダライ・ラマの「幸福論」
などを紹介してきた私としては、「『幸福』より『からっぽ』」という主張は、正直
言って、当初は違和感がありました。でも、仏教的な立場から考えてみても、「無心」
という言葉もありますし、ティク・ナット・ハンなどが説いている「何もしないこと」
の大切さに通じる考え方かもしれません。要は、著者のすすめる瞑想法が、人生に
どのような効果をもたらすか実際に体験してみることが大切だと思います。引き続き、
このブログをお読みいただき、できればご自身で実感していただければ幸いです。
Get Some Headspace: How Mindfulness Can Change Your Life in Ten Minutes a Day
- 作者: Andy Puddicombe
- 出版社/メーカー: Macmillan Audio
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