しあわせになる英語 English for Happiness

日曜更新。人生に役立つバイリンガルの学び。

「悟りを生きる」。その10。私たちは、なぜ知らず知らずのうちに、快楽を求め、苦痛を避けようとするのか? “Living Realization” No.10―Why do we try to chase pleasure and avoid pain without realizing it ?

 

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あなたが、快楽を求め、苦痛を避けようとする、驚きの仕組みとは?――解説を、
バイリンガルで、どうぞ。

What is the surprising system to make you seek pleasure and avoid pain? ――more to
come both in English and in Japanese.

 

 

 

The resistance created by our incessant storytelling strengthens the time-bound self
center that is seeking future fulfillment or release.

私たちは絶え間なく物語を創作しています。それによって今の状況に対する抵抗が
生まれ、その結果、時間に依存する自己の中心はさらに勢力を増します。自己の中心は
未来に願望を叶えよう、自由になろうとします。

 

 

When we think of ourselves as stories, we always look to the next moment, or some
future moment, when we can be free of the pain or discomfort that we’re presently
experiencing. We try to avoid having to experience pain or discomfort.

自分を物語だと見なすと、私たちはもうしばらくしたら、そうでなければ
いつの日にか、この痛みや不快感から自由になれるかもしれないと期待し、未来に目を
向け続けることになります。痛みや不快感を体験しなくてもよい状況を作ろうと
します。

 

 

Then, when we experience pleasure, we do the opposite. The self center engages in
a game of maintaining or recreating pleasurable sensations, whether it is the feel of
a massage, comfort from food, the high from the spiritual experiences, or the egoic
boost from receiving praise and acknowledgment.

その一方で、私たちは快楽を体験すると、それとはまったく反対のことをします。自己
の中心は快楽を維持するため、あるいは再生するためのゲームに夢中になります。
マッサージの快さであろうと、おいしいものを食べる喜びであろうと、スピリチュアル
な体験の恍惚感であろうと、称賛され認められた時の自我の高揚であろうと、みな同じ
ことです。

 

 

The spiritual search is a search for something more, for something other than what is
happening now. It is a chase for pleasure in the future, or a release from (or an avoidance
of) pain or discomfort in the present. The self center is the movement of thought that
appears to perpetually chase pleasure and avoid pain.

スピリチュアルの探求とは、より多くを求めること、今起きていること以外の何かを
求めることです。未来に快楽を求めること、あるいは現在ある痛みや不快感からの解放
(またはその回避)を求めることです。自己の中心とは、ひっきりなしに快楽を
追いかけ苦痛を避けようとする思考の仕組みなのです。

 

 

When pleasure and pain are allowed to be as they are, without emphasizing stories
about them, the constant movement of chasing pleasure and avoiding pain tends to
relax on their own. Again, the self center is seen to be a fiction, nothing more than the
appearance of thoughts commenting on the direct sensory experiencing of pleasure and
pain.

快楽と苦痛があるがままにあることを許され、それについての物語が重視されない時、
快楽を追いかけたり苦痛を避ける絶え間ない活動はひとりでに弱まっていきます。
すると、自己の中心など作り話だったということが再び認識され、本当は快楽や苦痛
などの直接的な感覚についてコメントする思考が現れているに過ぎないことが
わかります。

 

 

Sensations are not separate from awareness. Awareness does not move toward or away
from any sensations. Only the words and pictures in the story try to resist or hold onto
sensations.

感覚と気づきは別々のものではありません。どのような感覚でも、気づきがそれに
近づいたり、それから離れたりすることはありません。感覚に抵抗したり
しがみついたりしようとするのは、物語の中の言葉と映像だけです。

 

 

In this seeing, the constant movements of chasing pleasure and avoiding pain tend to
relax on their own. Pain and pleasure, as present sensations, are allowed to be as they
are, without a story that they should be different. Yet if such a story arises, that story is
allowed to come and go freely to awareness. In either case, there is no suffering in time.
There is only what is appearing presently.

これがわかると、快楽を求めて苦痛を避け続ける活動はしばしばゆるやかになります。
今感じている感覚としての苦痛と快楽はあるがままにあることが許され、そうあっては
ならないという物語は作り出されません。でも、もしそのような物語が現れた
としても、それも気づきに自由に現れて消えることが許されます。いずれにしろ、時間
の中で苦しむことはありません。今現れている物事があるだけです。

 

 

In letting all thoughts and sensations appear and disappear, without emphasizing them,
we see through the belief in separation. We see that life is seamless experiencing, and
utterly inseparable.

どのような思考も感覚も重視することなく自由に現れて消えさせれば、あなたはそれと
別々に存在していないことを見抜くことができます。生きることは継ぎ目のない体験で
あり、それを分けるのは絶対に不可能なことだとわかります。

 

 

 

 

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