「悟りを求めること」は、必ずしも良いことばかりではない。そこには、見逃せない
落とし穴があると言う――解説を、バイリンガルで、どうぞ。
“Seeking enlightenment” is not necessarily a good thing. There is said to be a pitfall in it,
which cannot be ignored――more to come both in English and in Japanese.
Seeking can be very simply defined as wanting something to happen other than what is
happening now. The search can also be described as the constant movement of looking
to the future for a sense of completion.
追求を非常に簡単に定義すると、「今起きていること以外のことが起こるように
願うこと」になります。また探求は、「完璧性を感じるために、常に未来に目を向け
続ける活動」と表現することができます。
Virtually everyone in the world is on a search of some kind. Whether we have been
seeking spiritual awakening for years, or have been seeking happiness in possessions,
career, attention, fame, relationships, food, sex, or drugs, one basic fact remains: to chase
after any state other than the one that is appearing now is to continue seeking within the
story of the time-bound, thought-based self-center.
実際に、この世界の誰もが何かを探し求めています。何年もスピリチュアルな目覚めを
求めてきたにせよ、あるいは富や出世、人々の注目、名声、人間関係、食べ物、
セックス、薬物などによって満たされることを求めてきたにせよ、それらの根底には
共通することがあります。それは、今現れている状態ではない状態を追いかけるという
ことは、自己の中心の物語という枠の中で追求し続けることだという事実です。その
物語は思考に基づいていて、時間に拘束されているのです。
It is easy to believe that seeking enlightenment is better than seeking material success or
other worldly achievement. When the impulse to seek enlightenment arises, it is
an opportunity to relax into present experiencing, just as it is.
悟りを求めるのは、富や他の世俗的な成功を求めることよりも良いことだと思われがち
です。悟りを求める衝動が起きた時は、今体験しているあるがままの状態にくつろぐ
ための良い機会です。
When we set enlightenment as a future goal, it becomes part of the story of the self
center, a way to imagine a future state in which we are free of suffering. Chasing after
enlightenment in the future is often an attempt to escape uncomfortable feelings and
sensations that are arising now.
悟りを未来に達成すべき目標として掲げた時、それは自己の物語に取り込まれ、苦しみ
から自由になるであろう未来を夢想することになります。未来にある悟りを追求して
いる時は、多くの場合、今現れている不快な感情や感覚から逃げようとしているの
です。
Each time you notice yourself imagining a future state of enlightenment, notice that
thought and let it come to rest on its own. Rest in thought-free awareness and let all
present emotions and sensations be as they are, without labels.
あなたが未来の悟った状態を想像している自分に気づいたなら、そのたびにそのような
思考が現れたことを認識した上で、それがひとりでに静まっていくのを黙って
見ていましょう。思考のない気づきの中で休息し、今感じている感覚と感情はラベルを
貼らずにあるがままにしておきましょう。
This relaxing into present experiencing is the doorway into enlightenment. This doorway
does not lead to the future. It reveals that present experience is complete and whole as it
is. This relaxation is the end of seeking.
このように今起きている体験の中でくつろぐことが悟りへ通じる扉です。この扉は未来
へは通じていません。こうすることで、今起きている体験はあるがままでまったく完璧
だということが明らかになります。こうしてくつろぐことが追求の終わりになるの
です。
Living Realization: A Simple, Plain-English Guide to Non-Duality (English Edition)
- 作者:Kiloby, Scott
- 発売日: 2014/11/07
- メディア: Kindle版
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