しあわせになる英語 English for Happiness

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「シュライアマハー:宗教について」。その9。宗教に目覚めた人が、誰かにそれを伝えたくなる理由とは?”Schleiermacher: On Religion” No.9――What is the reason why one who has been awakened by religion would like to convey it to someone?

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「アフター・コロナ(コロナ以後)」と言われるほど、今までの価値観の変革を
求められる今。何か知性を超えたものを信じたい気持ちを、多くの人が抱いている
のではないでしょうか?「近代神学の父」と呼ばれるフリードリヒ・シュライアマハー
が、宗教に目覚めた人が、誰かにそれを伝えたくなる理由を、宗教の本質から解説――
バイリンガルで、どうぞ (日本語版はドイツ語初版からの翻訳なので、英語版との間に
多少の違いがあることをご了承下さい)。

Now is the time even entitled “After Corona,” which is asking for the transformation of
our past values. Many people might feel pulled toward a belief in something beyond
intellect. Friedrich Schleiermacher, who is called “Father of Modern Liberal Theology,”
gives us commentaries on the reason why one who has been awakened by religion
would like to convey it to someone in terms of the nature of it――more to come both in
English and in Japanese (I hope you will understand that there are some differences
between the English version and the Japanese one because the Japanese one is
translated from the first German edition).

 

 

 

Once there is religion, it must necessarily also be social. That not only lies in human
nature but also in preeminently in the nature of religion.

宗教が存在するからには、それは必然的に社交的なものでなければなりません。
そのことは人間の本質に基づくだけではなく、むしろそれは宗教の本質に基づくもの
なのです。

 

 

You must admit that it is highly unnatural for a person to want to lock up in himself what
he has created and worked out. In the continuous reciprocity, which is not only practical
but also intellectual, in which he stands with the rest of his species, he is supposed to
express and communicate all that is in him.

みなさんは、もし人間が生み出し、それを作り上げたものを、自らの中に閉じ込めて
おこうとするなら、それが極めて不自然なことだと認めざるを得ないでしょう。人間
は、人間と同じ類の者たちと、実践的であるだけではなく、知的な相互作用を常に
行っているのですが、その中で人間は、彼の中にあるものの全てを外に向かって表現
し、伝達しようとするものです。

 

 

The more passionately something moves him, and the more intimately it penetrates his
being, the stronger is the urge also to glimpse its power outside himself in others, in
order to prove to himself that he has encountered nothing other than what is human.

そして何かが人間を動かし、人間の本質にその影響が浸透して行くことが強くなれば
なるほど、この力が、自己の外において、すなわち他の人の中でも働いているという
ことを直観したいという衝動も強くなるのです。そして彼は、彼が直面しているもの
が、人間的な、きわめて人間的なものであることを、自分自身に対して証明しようと
するのです。

 

 

How should he keep to himself the influences of the universe that appear to him as
greatest and most irresistible? How should he wish to retain within himself that which
most strongly forces him out of himself and which, like nothing else, impresses him with
the fact that he cannot know himself in and of himself alone.

人間は、もっとも偉大なものとして、またもっとも抵抗しがたいものとして出現する
宇宙の影響を、自分だけのものにしておくことができないのです。人間は、もっとも
強く自らを内から外へと押し出そうとするものを、また自分ひとりでは自分を認識する
ことはできないという経験を、自分自身の中に閉じ込めておくことができないのです。

 

 

Rather, his first endeavor, when a religious view has become clear to him or a pious
feeling penetrates his soul, is also to direct others to the object and, if possible, to
communicate the vibrations of his mind to them.

それ故にむしろ人間がまず努力すべきことは、もしひとつの宗教的見解が明らかに
なってきたなら、あるいはひとつの敬虔な感情がその魂に浸透してきたならば、他の
人々にもそれを示すことで、自分の感情の動きを、出来る限り人々に伝えるということ
なのです。

 

 

If, therefore, urged by his own nature, religious man necessarily speaks, it is the very
nature that also provides hearers for him. With no type of thinking and sentiment does
man have such a vivid feeling of his complete incapability ever to exhaust its object as
with religion.

このように、もし[その人が]その人の本性から宗教について必然的に語るのだと
すれば、聞き手が彼に集まってくるのは、お互いが同じ本性を持っているから、という
ことになるでしょう。どのように考えても、どのように感じてみても自分にはこの対象
を完全に受け止めるだけの力が欠如していると人間が強く感じるのは、おそらく宗教
以外にはないでしょう。

 

 

His sense of it has no sooner opened up than he also feels its infinity and his limitations;
he is conscious of encompassing only a small part of religion, and what he cannot attain
immediately he wants at least to perceive through another medium.

宗教についての人間の感性は、宗教の無限性と人間の有限性とを感じることでただちに
生じるというものではありません。人間は宗教の本当に小さな部分だけしかとらえて
いないことに気がつき、直接的には到達し得ないものを、他者を媒介することによって
知覚しようとするものです。

 

 

Therefore, every expression of religion interests him, and seeking his complement listens
attentively to every tone that he recognizes as religious. This is how mutual
communication organizes itself; thus speaking, and hearing are equally indispensable for
everyone.

ですからあらゆる宗教の表現は、人間の関心を引くようになり、人間は自分を補って
くれるものを求めているのですから、どのような音であっても、宗教の音色が
感じられるものには耳をそばだてたくなるのです。このように相互の伝達が次第に
体系化されて行き、語ること、聴くことが、誰にとっても同じように不可欠なことに
なるのです。


 

 

 

 

 

近代神学の誕生: シュライアマハー『宗教について』を読む

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