瞑想や祈りなど、宗教の修行を実践している方は多いと思いますが、それらによって
本当にめざすべき目的を知っていますか? ――解説を、バイリンカルで、どうぞ。
I think many of you are conducting religious practices such as meditation or prayer.
However, do you know the true objective of them? ――more to come both in English
and in Japanese.
He now called the twelve together and gave them power and authority to overcome all
the devils and to cure diseases, and sent them to proclaim the Kingdom of God and to
heal. “Take nothing for the journey,” he told them, “neither stick nor pack, neither bread
nor money; nor are you each to have a second coat. When you are admitted to a house,
stay there, and go on from there. As for those who will not receive you, when you leave
their town shake the dust off your feet as a warning to them.” So they set out and
traveled from village to village, and everywhere they told the good news and healed the
sick.
[Luke 9:1-6]
イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授け
になった。そして、神の国を宣 (の) べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次の
ように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持っては
ならない。下着も二枚は持ってはならない。どこかの家に入ったら、そこに
とどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町
を出ていくとき、彼らへの証として足についた埃を払い落としなさい」十二人は
出かけて行き、村から村へと道を歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気を
いやした。
(『ルカによる福音書』第九章一節から六節)
I think these passages point to a very important spiritual ideal that is common to all
religions. That is, that a spiritual practitioner who has gained a certain degree of
realization as a result of his or her long practice should not rest content.
この部分は、すべての宗教に共通するとても大事な、霊性の理想について述べていると
思います。つまり、長い間修行を続け、その結果、ある程度の目覚めを得るように
なった修行者も、そこに満足して休んではならない、ということです。
Instead this practitioner should set out and attempt to communicate it to others, so that
they too can share in the experience. Since the essence of all spiritual practice is the
practice of love, compassion, and tolerance, once you have had a profound experience of
these it is natural that you should wish to share it with others.
その人は立ち上がって他人にもそれを伝え、他の人たちもその経験にあやかれるように
すべきなのです。すべての霊性の修行の本質とは、愛と慈悲と寛容を実践すること
であり、これらを深いところで経験すれば、ほかの人たちにも分け与えたいと思うのが
自然なのです。
In the Buddhist context, when we speak of teachings or doctrines, we speak of two levels,
or two types. One is scriptural, the other is realizational. And just as these are two kinds
of teaching, there are different ways to uphold each doctrine or teaching.
仏教では、教えや教義には二つのレベルないしタイプがあるとしています。経典に
書かれている教えと、それを現実化することの二つです。教えに二種類あるばかりでは
なく、その教義や教えの扱い方にも、いくつものやり方があります。
The scriptural teachings are upheld by disseminating them, by teaching them, by
explaining their meanings to others. The realizational teachings are upheld by cultivating
that experience within yourself. It is very important that an individual who teaches others
have at least some experience in the teaching, some deeper spiritual realization.
経典に書かれた教えは、ほかの人たちにもそれを教え、伝え、書かれていることがよく
わかるように意味を説明することによって、広めるというやり方で、大切に扱われ
ます。もうひとつの教えを現実化する、というやり方では、自分自身の内部に、教えを
現実の体験として深めていくことが、追求されます。ほかの人たち教えを伝えたいと
思う人は、その教えをある程度は体験することによって、霊性の深い所でその教えを
理解できている必要があります。
This is totally different from other sorts of communication, such as a person telling
a story or a historian narrating some aspect of history. In these cases the individual,
based on his or her knowledge, can tell the stories without actually having experienced
them. However, in the case of spiritual teachings it is crucial for the teacher to have at
least some degree of realization and personal experience.
つまり霊性の教えに関しては、物語を語ったり、歴史家が歴史を語ったりするような
場合とは、まったく異なっているのです。物語や歴史は、知識さえあれば、それらを
自分で体験しなくても語ることはできるでしょう。ところが、霊性に関わる教えの場合
には、教師は少なくともある程度は、その教えを体験を通して、内側から理解できて
いなくてはならないのです。
There are references in this Gospel passage to such phenomena as devils and healing
diseases. Similar ideas come up in the literature of other religious traditions as well. I feel
that these are terms and ways of speaking that are used at a particular time, in
a particular environment, and that take into account a people’s belief systems.
『福音書』のこの箇所には、悪霊や病気の癒しのような現象が出てきます。ほかの宗教
の書物にも、似たような考え方が書かれています。このような表現は、その頃その地方
の環境のことや、人びとの信仰システムのことを考慮に入れるとようやく理解できる
ような言葉遣いや表現法の慣用から来ているのではないか、という気がします。
But an important spiritual ideal is pointed out here: spiritual practitioners should not be
complacent about their own levels of realization. It is critical to serve others, to
contribute actively to others’ well-being.
しかし、ここには霊性の修行にとって重要な、ひとつの理想が語られていることを、
見逃すべきではありません。つまり、霊性の修行者は、自分が達成したものに自己満足
してはならない、ということです。他人に奉仕すること、他人の幸福に積極的に貢献
することこそが大事のです。
I often tell practitioners that they should adopt the following principle: regarding one’s
own personal needs, there should be as little as involvement or obligation as possible,
but regarding service to others, there should be as many involvements and obligations as
possible. This should be the ideal of a spiritual person.
私は修行者たちに、よく次のことを忘れないようにと言います。自分のことなんかは
できるだけ気にしないで、自分のことに関しては「あれをしなければならない、これを
しなければならない」などとは思わないこと。しかし、他人への奉仕では、できる限り
他人のことを気にかけるようにして、「あれをしなければならない、これをしなければ
ならない」と思うこと、とね。私の考えでは、これこそが霊的な人間の理想です。
The Good Heart: A Buddhist Perspective on the Teachings of Jesus
- 作者:Dalai Lama XIV
- 発売日: 2016/08/09
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