愛し合っている二人は、なぜその愛を新鮮なまま持続できないのか?実は、これも、
「持つこと」か「あること」かの違いにあると言います。――解説を、バイリンガル
で、どうぞ。
Why cannot a couple in love keep their love fresh? In fact, this also depends on the
difference between ” to have ” and “ to be.” ―― more to come both in English and in
Japanese.
Loving also has two meanings, depending upon whether it is spoken of in the mode of
having or in the mode of being.
愛することにもまた、それが持つ様式において語られるか、ある様式において語られる
かによって、二つの意味がある。
Can one have love? If we would, love would need to be a thing, a substance that one can
have, own, possess. The truth is, there is no such thing as “love.” “Love” is abstraction,
perhaps a goddess or an alien being, although nobody has ever seen this goddess. In
reality, there exists only the act of loving.
人は愛を持つことができるだろうか? もしできるとすれば、愛は物でなければ
ならず、人が持ち、占有し、所有することのできる実体でなければならない。実を
言えば、<愛>というようなものはない。<愛>とは抽象概念であり、おそらくは女神で
あり異邦人である。しかしこの異邦人を見た者はない。実際には、愛するという行為
のみが存在する。
During courtship neither person is yet sure of the other, but each tries to win the other.
Both are alive, attractive, interesting, even beautiful――inasmuch as aliveness always
makes a face beautiful.
求愛の最中には、どちらもまだ相手に自信がなく、それぞれが相手をわがものにしよう
と努める。双方ともに生きていて、魅力的で、興味をそそり、美しくさえある――
生きていることは、常に顔を美しくするからだ。
Neither yet has the other, hence each one’s energy is directed to being, i, e, to giving to
and stimulating the other. With the act of marriage the situation frequently changes
fundamentally. The marriage contract gives each partner the exclusive possession of the
other’s body, feelings, and care. Nobody has to be won over any more, because love has
become something one has, a property.
どちらもまだ相手を持ってはいない。それゆえそれぞれはあること、すなわち相手に
与え、相手を刺激することに精力を注ぐ。結婚という行為によって、事態はしばしば
根本的に変わる。婚約は、それぞれに相手の肉体、感情、関心の独占的所有を認める。
もはやだれの歓心をも得る必要はない。愛は自分が持っている何ものかとなり、一つの
財産となったからである。
The two ceases to make the effort to be lovable and to produce love, hence they become
boring, and hence their beauty disappears. They are disappointed and puzzled. Are they
not the same persons any more? Did they make a mistake in the first place?
二人は愛すべき人間になろうとする努力も、愛を生み出そうとする努力もしなくなる。
それゆえ彼らは退屈な人間となり、それゆえ彼らの美は消滅する。彼らは失望し、
戸惑う。自分たちはもはや同じ人物ではないのだろうか。初めから間違っていたの
だろうか。
Each usually seeks the cause of the change in the other and feels defrauded. What they
do not see is that they no longer are the same people they were when they were in love
with each other; that the error that one can have love has led them to cease loving.
たいていの場合それぞれが相手の中に変化の原因を求め、詐欺にかかったように思う。
彼らに見えないことは、彼らがもはや互いに愛し合っていたころと同じ人間ではない、
ということであり、愛を持つことができるという誤解のために愛することをやめて
しまったのだ、ということである。
Now, instead of loving each other, they settle for owning together what they have:
money, social standing, a home, children. Thus, in some cases, the marriage initiated on
the basis of love becomes transformed into a friendly ownership, a corporation in which
the two egotisms are pooled into one: that of the “family.”
今や互いに愛し合う代わりに、彼らは持っているもの、すなわち金、社会的地位、
家庭、子供の、共同所有で満足する。かくして或る場合には、愛に基づいて始まった
結婚が仲のよい所有形態に変貌してしまう。それは二つの自己中心主義を一つの
合同資本とした会社であり、<家庭>という会社である。
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