宗教の大きな目的のひとつは、「生と死の問題」に取り組むこと。奇しくも、ブッダ
も、イエスも、「死ぬことの恐れ」を真に克服する方法は一つと教えています――2
0世紀を代表する心理学者のひとりエーリッヒ・フロムの解説に耳を傾けてみましょう
――バイリンガルで、どうぞ。
One of the big objectives of religion is to address “the issue of life and death.” By
a curious coincidence, both the Buddha and Jesus teach that there is only way to truly
overcome “the fear of death.”; Let’s listen to the commentaries of Erich Fromm, one of
the representative psychologists in the 20 th century ―― more to come both in English
and in Japanese.
There is only one way――taught by the Buddha, by Jesus, by the Stoics, by Meister
Eckhart――to truly overcome the fear of dying, and that way is by not hanging onto life,
not experiencing life as a possession.
死ぬことの恐れを真に克服するには、ただ一つの方法――仏陀によって、イエス
によって、ストア派の哲学者によって、エックハルトによって、教えられた――
しかなく、その方法は、生命に執着しないこと、生命を所有として経験しないこと、
によるものである。
The fear of dying is not truly what it seems to be: the fear of stopping living. Death does
not concern us. Epicurus said, “since while we are, death is not yet here; but when death
is here we are no more” (Diogenes Laertius). To be sure, there can be fear of suffering
and pain that may precede dying, but this fear is different from that of dying.
死ぬことの恐れは、生きることをやめることの恐れのように見えるが、実はそうでは
ない。死は私たちにかかわりはない、とエピクロスは言っている。「なぜなら、私たち
がいる間は死はまだ来ていないし、死が来たときには私たちはいないのだから」
(ディオゲネス・ラエルティオス)。確かに、死ぬ前に起こるかもしれない苦しみや痛み
の恐れはありうるが、この恐れは死ぬことの恐れとは違っている。
While the fear of dying may thus seem irrational, this is not so if life is experienced as
possession. The fear, then, is not of dying, but of losing what I have; the fear of losing my
body, my ego, my possessions, and my identity; the fear of facing the abyss of
nonidentity, of “being lost.”
死ぬことの恐れはこのように非合理的に見えるかもしれないが、生命が所有と経験
される場合には、そうではない。その場合の恐れは死ぬことの恐れではなく、
持っているものを失う恐れである。それは肉体、自我、所有物、アイデンティティを
失う恐れであり、アイデンティティを持たず、<失われた>者の深淵に直面する恐れで
ある。
To the extent that we live in the having mode, we must fear dying. No rational
explanation will take away this fear. But it may be diminished, even at the hour of death,
by our reassertion of our bond to life, by a response to the love of others that may kindle
our own love.
持つ様式に生きているかぎり、それだけ私たちは死ぬことを恐れなければならない。
いかなる合理的な説明も、この恐れを除いてはくれないだろう。しかし、まさに死のう
とするときでさえ、それを軽減することはできるのであって、それは生命へのきずなを
さらに主張することによって、また私たち自身の愛をも燃え立たせるような他人の愛に
反応することによって、可能なのである。
Losing our fear of dying should not begin as a preparation for death, but as the
continuous effort to reduce the mode of having and to increase the mode of being. As
Spinoza says, the wise think about life, not about death.
死ぬことの恐れをなくすことは、死の準備として始まってはならないのであって、
持つ様式を減らし、ある様式を増やすためのたえざる努力として始まらなければ
ならない。スピノザが言うように、賢明な人は生について考え、死については
考えない。
The instruction on how to die is indeed the same as the instruction on how to live. The
more we rid ourselves of the craving for possession in all its forms, particularly our
egoboundness , the less strong is the fear of dying, since there is nothing to lose.
いかに死ぬべきかの教えは、実際いかに生きるべきかの教えと同じである。あらゆる
形の所有への渇望、とくに自我の束縛を捨てれば捨てるほど、死ぬことの恐れは強さを
減じる。失うものは何もないからである。
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