人は何をきっかけにして宗教に興味を持ち始めるのか? そこには、生きていることへの
「驚き」があると言う――20世紀を代表する心理学者のひとりエーリッヒ・フロムの
言葉に耳を傾けてみましょう――バイリンガルで、どうぞ。
What triggers your interest in religion? It is said that “wonder” at life induces you to be
interested in religion ――Let’s listen to Erich Fromm, one of the representative
psychologists in the 20 th century―― more to come both in English and in Japanese.
One aspect of religious experience is the wondering, the marveling, the becoming aware
of life and of one’s own existence, and of the puzzling problem of one’s relatedness to
the world. Existence, one’s own existence and that of one’s fellow men, is not taken for
granted but is felt as a problem, is not an answer but a question. Socrates’ statement that
wonder is the beginning of all wisdom is true not only for wisdom but for the religious
experience.
宗教的体験の一面は、人生、自己の存在、および、世界に対する自己の関連性という
面倒な問題についての驚異、驚嘆、およびそうしたことの自覚である。存在、すなわち
自己自身ならびに他の人々の存在が、当然のこととはされずに問題であると感ぜられ、
答ではなくて疑問なのである。驚異こそあらゆる知恵の始まりである、という
ソクラテースの言葉は、単に知恵にとってのみならず、宗教的体験にとっても真なので
ある。
One who has never been bewildered, who has never looked upon life and his own
existence as phenomena which require answers and yet, paradoxically, for which the only
answers are new questions, can hardly understand what religious experience is.
未だかつて思いまどったことのない人、人生と自己自身の存在とが、解答を必要とする
現象であり、しかもなお、矛盾したことに、その現象にとっては解答そのものが新しい
疑問となる、といった体験を未だかつて持ったことのない人には、宗教的体験とは何で
あるかがほとんど理解できないであろう。
Another quality of religious experience is what Paul Tillich has called the “ultimate
concern.” It is not passionate concern with the fulfillment of our desires but the concern
connected with the attitude of wonder I have been discussing: an ultimate concern with
the meaning of life, with the self-realization of man, with the fulfillment of the task which
life sets us.
宗教的体験のもう一つの性質はティリッヒ (Paul Tillich) が「究極的関心」 (ultimate
concern) と名付けたものである。それは、われわれの欲望の遂行についての熱情的関心
ではなく、わたしが論じてきたところの、驚異の態度と関係のある関心である。
すなわち人生の意味、人間の自己実現、人生がわれわれに課する課題の遂行、といった
ことについての究極的関心である。
This ultimate concern gives all desires and aims, inasmuch as they do not contribute to
the welfare of the soul and the realization of the self, a secondary importance; in fact
they are made unimportant by comparison with the object of this ultimate concern. It
necessarily excludes division between the holy and the secular because the secular is
subordinated to and molded by it.
この究極的関心によって、魂の幸福と自己の実現とになんら貢献することがない、
あらゆる欲望や目標は第二義的なものとされる。実際、そういったものは、究極的関心
の対象に比してとるにたらぬものとされるのである。それは当然、聖なるものと俗的な
ものとの区別を排する。俗的なものは聖なるものに従属し、それによって型どられる
からである。
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