しあわせになる英語 English for Happiness

共に学ぶ「お役立ち」プログをめざします。

「なぜ今、仏教なのか」その8。マインドフルネス瞑想を徹底すると無感情になる? 愛が薄れる?

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瞑想を徹底すると、ブッダの教えである、「ものごとへの執着をなくすこと」が、
どんどん実現できてゆくと言います。しかし、これはイコール、欧米でよく言われる
「仏教を実践すると無感情な人間になる」ということではないのか? ――ひとつの答え
を本著よりご紹介します。バイリンガルで、どうぞ。

 

Or, to take another example, will parents who meditate intensively come to love their
offspring less intensely? Indeed, doesn’t the whole idea that you should let go of your
attachments encourage, in some sense, less parental love as we’ve always known
parental love?

あるいは、瞑想に徹底して取り組んだ親は子どもへの愛情が薄れてしまうのだろうか?
というより、執着を手放すべきだという仏教の思想は、私たちが以前から知っている形
の親の愛をある意味で控えるようにうながしているのではないか。

 

If you ask the average meditation teacher a question like this, you’ll hear something to
the effect that, no, meditative practice won’t negate your love or even subdue it, but may
change its nature.

平均的な瞑想指導者にこうした質問を投げかけると、つぎのような答えが返ってくる。
瞑想を実践したからといって愛は無効にならないし、減ることもないが、愛の性質は
変わるかもしれない。

 

Maybe, for example, parental love will become less possessive. And, who knows, maybe
that will produce a happier parent and a happier child than a more anxious, more
controlling kind of love would produce.

たとえば、親の愛は独占欲の強くない愛に変わるかもしれない。こればかりはなんとも
いえないが、もしかすると、不安の強い愛や支配欲の強い愛のもとでより、幸せな親と
幸せな子になれるかもしれない。

 

For practical purposes, that’s a fair answer. So far as I can tell, enhanced personal
relationships――with kin and with nonkin――are a much more likely result of meditative
practice than the opposite.

実用性の点ではまずまずの答えだ。私の知るかぎり、瞑想をすることで、肉親とも肉親
でない人とも人間関係が改善する可能性は悪化する可能性よりはるかに高い。

 

After all, one virtue of mindfulness meditation is that experiencing your feelings with care
and clarity, rather than following them reflexively and uncritically, lets your choose which
ones to follow――like, say, joy, delight, and love. And this selective engagement with
feelings, this weakened obedience to them can in principle include the feelings that
shape the essence we see in things and people.

マインドフルネス瞑想のよい点は、自分の感覚に無批判に反射的に従うのではなく、
感覚を注意深く明晰に経験することで、喜びなり楽しみなり愛なり、自分が従いたい
感覚を選べることだ。感覚とのこのような選択的なかかわり方、つまり感覚のいいなり
にならないかかわり方には、私たちがものや人に見いだす本性を形づくっている感覚
とのかかわり方も原理上は含まれる。

 

いかがでしたか? 最後の「本性(essence)」への言及は、いきなりなので、かなり
難しかったかもしれませんが、これは、私たちがものごとを知覚するときに、その中に
何か実体のあるものすなわち「本性(essence)」を見ようとするが、それは錯覚に
すぎない、すなわち、すべては「空(emptiness)」であるという仏教の教義から来て
います。興味のある方は、本著に詳しい解説があるので、そちらをお読みください。

 

 

 



Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment

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なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

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「なぜ今、仏教なのか」その7。たとえば「喫煙」。依存を克服するためのマインドフルネス瞑想とは?

 

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私たちの行動は私たちが考える以上に、理性よりも「感覚」に支配されていると
言います。本著では、現代心理学の研究成果から、最終的に私たちの人生を
あやつっているのが「感覚」であることを解説しています。その詳しいメカニズムは
実際に読んでいただくとして、今回のブログでは、例えば、どうしてもやめられない
依存を克服するための「感覚」とのつきあい方をご紹介します。登場するのは、
イェール大学医学大学院で瞑想の研究を行なっているジャドソン・ブルーワーです。
バイリンガルで、どうぞ。

 

Brewer said the basic idea is not to fight the urge to, say, smoke a cigarette. That doesn’t
mean you succumb to the urge and light up a cigarette. It just means you don’t try to
push the urge out of your mind. Rather, you follow the same mindfulness technique that
you apply to other bothersome feelings――anxiety, resentment, melancholy, hatred.

ブルーワーによると、基本的な考え方は、衝動、たとえば喫煙の衝動と闘わない
ことだ。といっても、衝動に負けてタバコに火をともすということではない。衝動を
心から追いだそうとするなということだ。不安、うらみ、憂鬱、憎しみなどの
やっかいな感覚に対処するときと同じマインドフルネスの手法に従えばいい。

 

You just calmly (or as calmly as possible, under the circumstances) examine the feeling.
What part of your body is the urge felt in? What is the texture of the urge? Is it sharp?
Dull and heavy? The more you do that, the less the urge seems a part of you; you’ve
exploited the basic irony of mindfulness meditation: getting close enough to feelings to
take a good look at them winds up giving you a critical distance from them. Their grip on
you loosens; if it loosens enough, they’re no longer a part of you.

落ち着いて(その状況で可能なかぎり落ち着いて)その感覚を検分する。体のどの
部分にその衝動があると感じるだろうか。その衝動はどんな感触がするだろう。鋭い
だろうか。鈍く重たいだろうか。調べていくうちに、その衝動はだんだん自分の一部
ではないように思えてくる。マインドフルネス瞑想の根本的な矛盾をたくみに逆用した
わけだ。感覚に充分近づいてじっくり眺めることが、感覚から最低限必要な距離を
おくことになる。感覚の束縛がゆるむ。束縛が充分にゆるめば、その感覚はもう
自分の一部ではなくなっている。

 

There’s an acronym used to describe this technique: RAIN. First you Recognize the
feeling. Then you Accept the feeling (rather than try to drive it away). Then you
Investigate the feeling and its relationship to your body. Finally, the N stands for
Nonidentification, or, equivalently, Nonattachment. Which is a nice note to end on, since
not being attached to things was the Buddha’s all-purpose prescription for what ails us.

この手法をあらわすことばがある。RAINだ。まず、感覚を認識する (Recognize)。
つぎに、感覚を追い払うのではなく受け入れる (Accept)。そして、感覚や、感覚と
自分の体との関係を詳しく調べる (Investigate)。最後に、同一化しなくなる
(Nonidentification)、すなわち執着しなくなる (Nonattachment) 。いい終わり方だ。
なぜなら、ものごとに執着しないことは、あらゆるわずらいに対するブッダ
万能処方箋だからだ。

 

Brewer described this therapy as being about not “feeding” the urge to smoke. He said,
“If you don’t feed a stray cat, it quits coming to your door.” I like this metaphor, with its
suggestion that, somewhere within you, there’s an animal that needs taming.

この療法の目的は喫煙の衝動に「餌づけ」しないことだとブルーワーは言う。「餌を
やらなければ、野良ネコは家に立ち寄らなくなる」。なかなかいいたとえだと思う。
自分のなかのどこかに飼いならすべき動物がいるというのがいい。

 



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「なぜ今、仏教なのか」その6。たとえば「嫉妬」。人生を振り回す心の仕組みとは?

 

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自分が自分でなくなるほどの嫉妬。ほとんど誰もが身に覚えのある感覚ですが、心の
仕組みを解明しようとする本著では、そんな嫉妬の状態を例に、「モジュール」という
最新心理学の考え方を引用して、私たちの「自己」が、自身の心をコントロールして
いる、いわばCEO(代表取締役)的存在ではないことを解説しています。その瞬間瞬間
で、さまざまな「モジュール」あるいは「下位自分(subself)」が心の絶対的な支配者に
なる――私たちの心には、「たくさんの自分たち」が存在するというのです。抜粋を、
バイリンガルでご紹介します。

 

An increasingly common answer within the field of psychology, especially evolutionary
psychology, is that the mind is “modular”. In this view, your mind is composed of lots of
specialized modules――modules for sizing up situations and reacting to them――and
it’s the interplay among these modules that shapes your behavior. And much of this
interplay happens without conscious awareness on your part.

心理学、とくに進化心理学の分野で一般的になりつつある答えは、心が「モジュール」
的な構造をしているというものだ。この考え方では、人間の心はたくさんの専門化
されたモジュール――状況を判断して対処するための機能単位――からなっていて、
人の行動を決定づけるのはこうしたモジュールの相互作用だ。そして相互作用の大半は
本人が意識することなく起きている。

 

Again, jealousy is a particularly dramatic example of a module’s seizing control of the
mind. Whenever people are throwing things and screaming, that’s a tipoff that the brain
is under new management. And even when jealousy isn’t in its rage stage, it has
a conspicuously obsessive quality, compelling your mind to take particular trains of
thoughts over and over.

先ほどもいったとおり、嫉妬はモジュールが心のコントロールを奪いとるひときわ
ドラマチックな例だ。だれかがものを投げたりわめいたりしていれば、それは脳が
新しい管理下におかれている徴候だ。たとえ嫉妬が激しい怒りの段階にいたって
なくても、嫉妬には目立って偏執的な性質があり、心を特定の思考パターンに
しばりつけて堂々めぐりさせる。

 

The feeling of jealousy is so powerful that it may be hard to imagine resisting it. But
resistance, strictly speaking, isn’t the mindful way of dealing with jealousy anyway.
Rather the idea would be to observe the feeling mindfully as it begins to emerge and so
never become firmly attached to it.

嫉妬の感覚はあまりにも強烈で、あらがうことなど想像できないかもしれない。しかし
厳密にいえば、あらがうのは嫉妬に対するマインドフルな対処法ではない。むしろその
感覚がわきあがってくるのをマインドフルに観察し、完全にとらわれてしまうことが
ないようにするというのが仏教の発想だ。

 

If you don’t yield to attachment――if you don’t, as the Buddha might say, let your
consciousness become “engaged” with the feeling――then the jealousy module
presumably won’t be activated. Observing feelings without attachment is the way you
keep modules from seizing control of your consciousness. Easier said than done, I know.

もし嫉妬に執着しないなら――ブッダのいうように、意識がその感覚にしがみつかない
ようにすれば――おそらく嫉妬モジュールは活性化されない。執着することなく感覚を
観察することが、意識に対するコントロールをモジュールに奪わせない方法だ(口で言う
ほどやさしくはないことは私も承知しているが)。

 

Buddhist thought and modern psychology converge on this point: in human life as it’s
ordinarily lived, there is no one self, no conscious CEO, that runs the show; rather, there
seem to be a series of selves that take turns running the show――and, in a sense,
seizing control of the show.

仏教思想と現代の心理学はつぎの点に意見が収束している。人生には采配をとる単一の
自我やCEO的自己は存在しない。一連の自己たちが順番に采配をとり、ある意味で
コントロールをにぎっている。

 

If the way they seize control of the show is through feelings, it stands to reason that one
way to change the show is to change the role feelings play in everyday life. I’m not aware
of a better way to do that than mindfulness meditation.

自己たちがコントロールをにぎるのに感覚を利用しているなら、状況を変える一つの
方法は、日々の生活で感覚が演じている役割を変えることだ。マインドフルネス瞑想
ほどそれにふさわしい方法を私はほかに知らない。



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「なぜ今、仏教なのか」その5。瞑想で「無我の境地」に近づきたい、あなたへの助言。

 

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「無我の境地」とは、仏教や瞑想に興味がある人なら、ある意味あこがれの境地かも
しれません。不幸の元凶とも言われる「自己への執着心」が全くない境地に到達する
――しかし、その前に、著者ロバート・ライトは、著者自身も含めて「我思うゆえに
我あり」という近代合理主義に染まって生きてきた人びと(欧米人そして私たち日本人)
に役立つ助言を送っています。バイリンガルで、どうぞ。

 

Maybe it’s actually useful to hang on to some conception of self for a while; maybe
hanging on to it could help you get to the point where you no longer believe it exists.
The scholar Peter Harvey has written,

実際の話、今しばらくなんらかの自己の概念にしがみついておくのは役に立つかも
しれない。しがみついていれば、自己が存在しないと信じるようになるところまで到達
する助けになる。学者のピーター・ハーヴィーはつぎのように書いている。

 

“One can, then, perhaps see the Self idea as fulfilling a role akin to a rocket which boosts
a payload into space, against the force of gravity. It provides the force to drive the mind
out of the ‘gravity field’ of attachment to the personality-factors [the aggregates]. Having
done so, it then ‘falls away and is burnt up,’ as itself a baseless concept.”

「そのため、自己は重力に逆らって積み荷を宇宙に押しあげるロケットに似た役割を
はたすものととらえていいだろう。人間存在の要素[五蘊=ごうん]への執着という
重力場』から心を追いだす力をあたえてくれる。その後、自己はそれ自体が根拠の
ない概念として『はなれて燃えつきる』」

 

In any event, Harvey believes, the not-self teaching “is not so much a thing to be thought
about as to be done.” And who knows, maybe that was the Buddha’s view of the matter.
Maybe he wasn’t really trying to articulate a doctrine but rather to draw you down to
a path.

いずれにせよ、ハーヴィーによれば無我の教えは「熟考するものというより実践する
ものだ」。ことによると、あるいはブッダの着眼点はここにあったのかもしれない。
ひょっとすると、ブッダは教義を明確に述べようとしたのではなく、私たちに道を
歩ませようとしていたのではないだろうか。

 

And that path involves showing you how many things there are that you think of as part
of your self but that don’t have to be thought of that way. In this view, the Buddha, in that
first discourse on the not-self, wasn’t delivering a lecture about metaphysics or
the mind-body problem or anything else so purely philosophical; he was just trying to get
the monks to think about their minds in a way that would lead them toward liberation.

そのためには、私たちが自己の一部だと思っているたくさんのものは、そんなふうに
思う必要のないものだと示す必要がある。そう考えたブッダは、無我についての最初の
説法で、形而上学や心身問題などの純粋に哲学的な問題をとりあげることは
しなかった。ただ、修行僧たちに解放へとつながる形で心について考えさせようと
した。

 

In a way we’re back to square one, Ajahn Chah’s opening advice about the not-self
doctrine: Don’t think about it so much――just do it. But I hope you think that thinking
about it has been useful. Later we’ll hear from someone who seems to have not just
thought about it but done it――someone who says that, after abandoning ownership of
larger and larger chunks of what we traditionally think of as the self, he finally let go of all
of it.

ある意味でふりだしにもどったといえる。冒頭でアーチャン・チャーが無我の教義に
ついて忠告したとおり、考えすぎるな――ただ実践しろ、というわけだ。ただみなさん
には、ここまで考えてきたこともむだではなかったと思ってもらいたい。のちほど、
無我について考えてきただけでなく実践も積んできたという人から話を聞きたいと
思う。私たちが昔から自己だと考えているものを、自分のものではないとどんどん
捨て去っていった結果、自己をすべて手放したという人物だ。

 

But for now my advice to beginning meditators is this; Don’t take the idea of not-self too
seriously.
Maybe the contemplative path will eventually lead you to the experience of
full-on not-self, and you’ll come to believe that, in a profound and hard-to-describe
sense, there’s no “I” in there.

しかしこの段階で瞑想初心者に助言するとすれば、無我の概念をあまり真剣に
受けとらないようにということだ。瞑想の道を進んでいけば、いずれは正真正銘の無我
の経験にいたり、そこに「私」は存在しないという深遠で形容しがたい確信に到達する
かもしれない。

 

Until then, just be guided by the less dramatic lessons from the Buddha’s not-self
discourse. Think of yourself as having, in principle, the power to establish a different
relationship with your feelings and thoughts and impulses and perceptions――the power
to disengage from some of them; the power to, in a sense, disown them, to define the
bounds of your self in a way that excludes them. Think of some degree of liberation as
being possible――and don’t worry about the fact this would seem to imply that there’s
a self to be liberated. There are worse things than being a self that gets liberated.

それまでは、あまりドラマチックではないがブッダの無我の説法から得られる教えに
従うのがいいだろう。自分には本来、自分の感覚や思考や衝動や知覚との関係を
変えられる力がそなわっていると考えることだ。自分にはそうした束縛から自由になる
力、どこか自分とは関係のないものとしてそれを除外したうえで自己を定義しなおす力
がある。なんらかの解放は実現可能だ、と。解放されるべき自己があるように聞こえる
ことは気にしなくていい。それはたいしたことではない。

 

いかがでしたか? ちなみに、文中の「五蘊(ごうん)」とは、人間や 人間の経験を構成
するとされる「五つの集合要素」で、この本では後に詳しい説明が登場しますが、
おおまかにいって以下のようになります。

  1. 肉体とそれを構成する目や耳などの感覚器官、形あるもの(色=しき)
  2. 基本的な感覚、感受(受=じゅ)
  3. 姿かたちや音などの対象がなんであるかの知覚(想=そう)
  4. 意志をはじめ、複雑な感情、思考、好み、癖、決断などを含む大きなカテゴリー(行=ぎょう)
  5. 意識、あるいは認識、とくにほかの四つの要素に対する認識(識=しき)

 


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「なぜ今、仏教なのか」その4。あなたにもできる。「無我」の境地に近づくヒントとは?

 

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ブッダの教えの中で、重要とされていながら、なかなか理解することが難しいものに
「無我」と「空」があります。有名な科学ジャーナリストである著者が、自分の実体験
とその豊富な知識を総動員して、この難題をわかりやすく解き明かそうとした本著は、
世界中でベストセラーになっていますが、まずは、「無我」の境地に関する記述から
ご紹介。西洋に瞑想を広めることに大きく貢献した20世紀のタイの高僧アーチャン・
チャーは、「無我を理解するには瞑想しなければならない」と忠告し、この教義を
「知的な思索」だけで理解しようとすれば「頭が破裂するだろう」とたしなめたと
言います。では、どうすればよいか? ――バイリンガルでご紹介します。

 

But we have to start somewhere! And here there is good news. The not-self experience
isn’t strictly binary. You don’t have to think of it as a threshold that you either manage to
finally cross, to transformative effect, or forever fall short of, getting no edification
whatsoever.

でもどこかではじめなければならない。ここでいい知らせがある。無我の経験は厳密な
二元論ではない。たとえば何か境界のようなものがあって、なんとかして最終的に
そこを越えれば変容をとげられるけれど、さもなければ永遠に無我には到達できず
なんの啓発も得られない、などと考える必要はない。

 

As strange as it may sound, you can, with even a fairly modest daily meditation practice,
experience a little bit of not-self. Then, as time goes by, maybe a little more. And――who
knows――maybe someday you’ll have the full-on, transformative version of the
experience. But even if you don’t, important and lasting progress can be made, and
benefits, for you and for humankind, can accrue along the way.

奇妙に聞こえるかもしれないが、ささやかな毎日の瞑想でも無我をほんの少し経験する
ことは可能だ。時がたつにつれてもう少し経験できるようになっていく。そして――
こればかりはなんともいえないが――ひょっとすると、いつの日か完全なる無我を経験
して変容をとげることになるかもしれない。たとえそうならなくても、重要な進歩を
ずっとつづけていくことはできるし、その途上であなたにとっての、さらには人類に
とっての功徳や利益を積むことはできる。

 

Meanwhile, here’s what I recommend: Continue to entertain the proposition you’ve
probably been entertaining your whole life, that somewhere within you there’s something
that deserves the name I. And don’t feel like you’re committing a felony-level violation of
Buddhist dogma just because you think of yourself as being a self.

さしあたりつぎのように提案しておこう。みなさんがこれまでの人生でずっと心に
いだいていたであろう信条、つまり自分のなかのどこかに「私」と呼ぶに値するものが
あるという考えを持ちつづけてもかまわない。自分の自己が自分自身であると考えて
いるからといって、仏教の教義にそむく重い罪を犯していると感じる必要はない。

 

But be open to the radical possibility that your self, at the deepest level, is not at all what
you’ve always thought of it as being. If you followed the Buddha’s guidance and
abandoned the massive chunk of psychological landscape you’ve always thought of as
belonging to you, you would undergo a breathtaking shift in what it means to be
a human. If you attained the state he’s recommending, this would be very different from
having a self in the sense in which you’ve always had one before.

ただ、心を広く持って、いちばん深い部分では自分の自己は自分がいつも思っている
ものとまったくちがうかもしれないという過激な可能性にも柔軟でいてほしい。もし
ブッダの教えに従って、これまでずっと自分に属するものだと考えてきた心象風景を
ごっそり捨て去るなら、人間であることの意味についての考えが一変する息をのむ
ような経験をするだろう。もしブッダの勧める境地に到達すれば、それまでずっと自己
を持っていたような形で自己を持つのとは、まったく違う境地を開くことになる
だろう。

 

いかがでしたか? 今回は、無我の境地に近づくことができる可能性について、その
さわりをご紹介しましたが、次回のブログでは、もう少し突っ込んだ記述をご紹介
します。お楽しみに。

 



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「なぜ今、仏教なのか」その3。マインドフルネス瞑想が成功する時。その効用と可能性とは?

 

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グーグルなど世界の有名企業が社員研修のために採用するなど、大流行になっている
マインドフルネス瞑想は、日本でも大勢の人々の関心を集め、数多くの関連本が出版
されています。この本で語られているのは、科学ジャーナリストである著者の生々しい
成功体験――バイリンガルでご紹介します。

 

First, mindfulness meditation is good training. Viewing your feelings mindfully while on
a meditation cushion can make you better at viewing them mindfully in everyday life,
which means your life will be less governed by misleading or unproductive feelings.

まず、マインドフルネス瞑想はいい訓練になる。瞑想クッションにすわって瞑想
しながら感覚をマインドフルに眺めることで、実生活でも普段から感覚をマインドフル
に眺めるのがうまくなり、判断を誤らせるような感覚や無意味な感覚に支配されにくく
なる。

 

You spend less time fuming at drivers who (inexcusably oblivious to the important
appointment you’re late for) take a couple of seconds to hit the accelerator after the light
turns green; less time yelling at your kids or your spouse or yourself or whoever you’re
inclined to yell at; less time pointlessly resenting indignities inflicted on you; less time
having revenge fantasies about the inflicters (not that such fantasies are without their
pleasures!) ; and so on.

信号が青に変わったあと、(許しがたいことに、こちらが重要な約束に遅れまいと
必死なことにも気づかず)アクセルを踏むのに二、三秒かかった運転手にキレることも
減る。子どもでも配偶者でも、あるいは自分自身でも、あなたが大声をあげてしまい
がちな相手に対してやたらに大声を浴びせることも減る。人から受けた屈辱的な仕打ち
に腹を立てることも減る。そんな仕打ちをした相手に仕返しする空想にふけることも
減る(とはいえ、そうした空想が楽しくないわけではない)。

 

The routine business of mindfulness――observing the world inside you and outside you
with inordinate care――can do more than tone down troublesome feelings and enhance
your sense of beauty. It can, in a slow, incremental, often uneven yet ultimately
systematic way, transform your view of what’s really “out there” and what’s really
“in here.”

自分の内面と外界をとてつもない注意深さで観察するというマインドフルネスの一連の
手順は、わずらわしい感覚をやわらげ、美の感受性を鋭くしてくれるだけではない。
ゆっくりと、段階的に、ときにむらがあっても最終的には整然とした形で、「外」に
あるものや「内」にあるものに対する見方を変容させる。

 

What begins as a modest pursuit――a way to relieve stress or anxiety, cool anger, or
dial down self-loathing just a notch――can lead to profound realizations about the nature
of things, and commensurately profound feelings of freedom and happiness.
An essentially therapeutic endeavor can turn into a deeply philosophical and spiritual
endeavor.

もともとはストレスや不安をやわらげたり、怒りを静めたり、激しい自己嫌悪を少し
おさえたりする手段として控えめにはじめたものが、やがてものの本質に対する深い
理解や、それに呼応した深い解放感や幸福感をもたらしうる。あくまでいやしを求めて
努力していたものが、深い哲学や精神性を求める努力に変わる可能性がある。



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「なぜ今、仏教なのか」その2。マインドフルネス瞑想で、なぜ人生の苦しみを軽減できるのか?

 

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有名な科学ジャーナリストである著者ロバート・ライトは、2003年、ある
マインドフルネス瞑想合宿に参加し、仏教の「真実」に迫る「突破口(The Big
Breakthrough)」を開いたと言います。自らの実体験を、専門分野である科学によって
裏づけようとする試みが、すなわち世界中でベストセラーになっている本書。抜粋を、
バイリンガルで、ご紹介します。

 

In mindfulness meditation as it’s typically taught, the point of focusing on your breath isn’t
just to focus on your breath. It’s to stabilize your mind, to free it of its normal
preoccupations so you can observe things that are happening in a clear, unhurried, less
reactive way.

マインドフルネス瞑想で一般的に指導されるとおり、呼吸に集中する主眼は、ただ呼吸
に集中することではない。大事なのは心を安定させることであり、いつも気をとられて
いる対象から心を解放し、いま起こっていることを明晰に、ゆったりと、反応しない
ように観察できる状態に持っていくことだ。

 

And “things that are happening” emphatically includes things happening inside your
mind. Feelings arise within you――sadness, anxiety, annoyance, relief, joy――and you
try to experience them from a different vantage point than is usual, neither clinging to the
good feelings nor running away from the bad ones, but rather just experiencing them
straightforwardly and observing them. This altered perspective can be the beginning of
a fundamental and enduring change in your relationship to your feelings; you can, if all
goes well, cease to be their slave.

「いま起こっていること」には、いま心のなかで起こっていることも含まれる。
悲しみ、不安、いらだち、安心、喜びなどの感覚が自分の内からわきあがったら、
それを普段とはちがう観点から経験してみる。快い感覚に執着したり、不快な感覚から
逃げだしたりするのではなく、ただありのまま経験し、観察する。この視点の転換は、
感覚とのつきあい方を根本から、そして永久に変化させる入り口になりうる。すべて
うまくいけば、もう感覚の奴隷にならずにすむ。

 

When I say we’re going to be exploring the scientific foundation of a Buddhist worldview,
I don’t mean “scientific foundation” in the sense of scientific evidence that meditation can
reduce suffering. If you want such evidence, there are lots of studies readily available
and widely reported, that seem to show as much. And I don’t mean “scientific foundation”
only in the sense of what’s going on in the brain when you’re meditating and starting to
change your view of reality――though I will, to be sure, get into some of the more
important brain-scan studies.

本書では、仏教の世界観の科学的な基礎を探究するが、たとえば、瞑想によって苦しみ
が軽減する科学的な証拠(エビデンス)という意味での「科学的な基礎」ではない。
そのような証拠が欲しければ、それを示しているように見えるたくさんの研究は簡単に
手にはいるし、広く報告されてもいる。また、瞑想をして現実観が変化しはじめている
ときの脳で何か起きているのかという意味だけの「科学的な基礎」でもない。
もちろん、重要な脳スキャン研究はいくつかとりあげるつもりだ。

 

I mean “scientific foundation” in the sense of using all the tools of modern psychology to
look at such questions as these: Why, and in what particular ways, are human beings
naturally deluded? How exactly does the delusion work? How does delusion make us
suffer? How does it make us make other people suffer? Why would the Buddhist
prescription for dispelling the delusion――in particular, the meditative part of that
prescription――work? And would it mean for it to work fully? In other words, does the
elusive state that is said to lie at the culmination of the meditative path――sometimes
called enlightenment――really qualify for that term? What would it be like to see the
world with perfect clarity?

私のいう「科学的基礎」とは、つぎのような疑問を検討するために現代心理学の
あらゆる手法を使うという意味だ。人間はなぜ、どのような形で妄想にまどわされて
しまうのか。妄想はどんなしくみで生じるのか。妄想はどのように私たちを苦しめる
のか。妄想はどのようにして私たちに他人を苦しめさせるのか。妄想を追い払う仏教の
処方箋、とりわけ瞑想はなぜ効果があるのか。そして、それが完全に効果をあらわす
ことは何を意味するのか。いいかえると、瞑想の道の頂上にあるとされる、達すること
のむずかしい境地、「悟り」は、本当にその語にふさわしいのか。一点の曇りもなく、
完全に明晰に世界を見るとはどんなものなのか。

 

 

Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment

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なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学

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