しあわせになる英語 English for Happiness

日曜更新。人生に役立つバイリンガルの学び。

マインドフルネスと聖霊(the Holy Spirit)は同じ?「生けるブッダ、生けるキリスト」その2

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仏教のマインドフルネス(気づきの力)を欧米に普及させた禅僧ティク・ナット・
ハンは、多くのキリスト教徒たちとの交流を通じて、マインドフルネスと、聖書で
語られている、イエス・キリストに癒しの力をもたらした聖霊(the Holy Spirit)は
同じものであるという確信に至ったと言います。そもそも聖霊とは、何でしょうか?
 

The Holy Spirit descended on Jesus like a dove, penetrated Him deeply, and
He revealed the manifestation of the Holy Spirit. Jesus healed whatever He
touched. With the Holy Spirit in Him, His power as a healer transformed
many people.

ホーリー・スピリットは、一羽の鳩のようにイエスのうえに舞い下りてきて、
彼の体のなかに深く浸透してゆきました。こうして彼は、このホーリー・スピリット
の化身としてみずからを現わすに至り、イエスの体に触れるものを癒してゆきました。
癒し手としてのイエスの力が多くの人々を変容させたのです。

 

ある時、フローレンスのあるカトリックの司祭が語った言葉によれば、ホーリー
スピリットとは、神から送られたエネルギー。その言葉にインスピレーションを得た
ティク・ナット・ハンは言います。

 

To me, mindfulness is very much like the Holy Spirit. Both are the agents of
healing. When you have mindfulness, you have love and understanding, you see
more deeply, and you can heal the wounds in your own mind. The Buddha was
called the King of Healers. In the Bible, when someone touches Christ, he or she
is healed. It is not just touching a cloth that brings about a miracle. When you touch
deep understanding and love, you are healed.

私はホーリー・スピリット(聖霊)とマインドフルネス(気づきの力)は、ほとんど
同じものだと確信しています。両方とも癒しの力をひきおこす媒体なのです。あなた
の心にマインドフルネスがあれば、そこから愛と理解が生まれ、もっと深く現実を
見る目ができ、自分の心のなかの傷をみずから癒すことができるのです。仏陀
癒しの医王と呼ばれました。聖書にも、誰かがキリストに触れたとき、その人は
癒されたと記されています。それは奇跡をもたらす一枚の布に触れるといったこと
ではなく、キリストの深い愛と理解に触れたために、癒されたのです。

 

I told the priest that I felt that all of us also have the seed of the Holy Spirit in us,
the capacity of healing, transforming, and loving. When we touch that seed, we are
able to touch God the Father and God the Son.

私は最後にこのフローレンスの司祭に自分の考えを次のように述べました。
私たちは、誰でもみな、このホーリー・スピリットの種子を持っていて、癒し、
変容し、愛する力を内に秘めていると。そして、この心の内にある気づきの種に
触れることができたら、父である神とその子である神(キリスト)に触れることも
可能ではないかと。

 

いかがでしたか?正直に言って、キリスト教の知識が浅く、仏教の伝統の中で育った
私としては、ティク・ナット・ハンの、この確信に対する適切なコメントが思い浮かび
ません。しかし、事実として、この「生けるブッダ、生けるキリスト」という本は、
欧米で大きな反響を呼び、ベスト・セラーになっています。しばらく、この本で
語られている内容をバイリンガルで紹介していきますので、よろしかったら、
お付き合いください。

 

Living Buddha, Living Christ

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生けるブッダ、生けるキリスト

生けるブッダ、生けるキリスト

 

  

 

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異文化交流における真の「対話」とは?「生けるブッダ、生けるキリスト」その1

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日常会話のレベルを超えて、もっと深い内容の「英会話」がしたい、と望む時、
欧米にマインドフルネスを普及させた、禅僧ティク・ナット・ハンの言葉に耳を
傾けてみると良いかもしれません。彼は、仏教徒という自分のアイデンティティ
大切にしながらも、ベトナム戦争終結という難しいミッションを成し遂げるために、
多くのキリスト教徒との異文化交流を成功させた人物だからです。

 

For any dialogue between traditions to be deep, we have to be aware of both
the positive and negative aspects of our own tradition.

相異なる伝統間での対話を深めるためには、私たちは自分の伝統の長所、短所に
よく気づく必要があります。

 

In a true dialogue, both sides are willing to change. We have to appreciate that
truth can be received from outside of―not only within―our own group. If we
do not believe that, entering into dialogue would be a waste of time. If we think
we monopolize the truth and we still organize a dialogue, it is not authentic.
We have to believe that by engaging in dialogue with the other person, we have
the possibility of making a change within ourselves, that we can become deeper.

双方が自分を変える意思を示すときにこそ真の対話が成立します。真実は自分の
属している共同体のなかからだけでなく、その外部からも受けとることができる
という事実を、私たちは充分に認識しておかなければなりません。もしもこのように
考えることができないとしたら、いくら対話をしようと取り組んでも時間の浪費に
おわるでしょう。自分たちの信じることが真実であるから、自分たちが対話を先導
してゆくべきだと考えているとしたら、それも本物の対話の成立を阻みます。
他の人との対話を行なうときには、私たちは誰でも自分の内側から心を変えて
ゆくことができ、それによって、私たちは双方とも、さらに深く理解し合えるように
なるという確信を持って対話にむかわなければなりません。

 

We have to allow what is good, beautiful, and meaningful in the other’s tradition
to transform us.

相手が基盤として持っているよいもの、美しいもの、そして味わい深いものに
心を開いて、それを自分が変わってゆく力としてゆかなければなりません。

 

Living Buddha, Living Christ

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生けるブッダ、生けるキリスト

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自分のルーツ(根)に戻るということ。「イエスとブッダ いのちに帰る」その7

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東洋人であるわれわれが、西洋の文化に触れる時、もっと具体的に言えば、
実質的に仏教徒であるわれわれが、キリスト教に触れる時、自ら東洋と西洋の
架け橋になり、マインドフルネスの普及に多大な貢献をした禅僧ティク・ナット・
ハンの言葉が参考になるかもしれません。

 

When you are rooted in your own tradition you have a much better chance
of understanding another tradition. It is like a tree with roots. When it is transplanted,
it will be able to absorb nutrients from the new soil. A tree with hardly any roots will not
to be able to get the nutritious elements.

自分の伝統に深く根を張っていれば、他の伝統への理解がさらに深まります。
大地に根ざした木のようなものです。木は移植されても、新しい土壌から養分を
吸収していきますが、ほとんど根こそぎにされた木には養分を吸収する力が
ありません。

 

I think rootedness means a lot for dialogue. We don’t want people to get uprooted
from their traditions. We want them to go back. Buddhist practice may help them
to go back to their own roots.

根をもつことは、対話への架け橋です。誰も自分自身の伝統の根を奪われては
なりません。私はみながそれぞれ自分の伝統に戻ってほしいと思うのです。
仏教の練修がその手だすけとなるはずです。

 

In our time, society is organized in such a way that we create thousands of
hungry ghosts every day. They are mostly young people. Look around us.
They are so many. They have no roots. They are hungry. They suffer. We have to
be careful in our daily life, trying not to help create more hungry ghosts. We have to
play our role as parents, teachers, friends, and priests with understanding and
compassion. We have to help hungry ghosts to be less hungry, to go back
to their family and tradition, to be reintegrated.

いまこの社会は毎日何千人もの飢えた魂をつくりだしています。その大半が
若者です。まわりを見わたしてみてください。おびただしい数の根をもたない
人たちがいます。彼らは飢え、苦しんでいます。私たちは毎日、これ以上飢えた魂を
増やさないように心配りをしていかなければなりません。両親、教師、友人、聖職者
として、理解と慈悲をもってそれぞれの役割をはたしていかなければなりません。
飢えた魂が少しでも飢えないように手だすけし、彼らがそれぞれの家庭や伝統に
戻って、社会に融合できるように手をさしのべていかなければなりません。

 

When the time is right, when they are capable of smiling and forgiving, we tell them,
“Go back to your own culture, go back to your own family, go back to your own church.
They need you. They need you to help renew themselves and no longer alienate
their young people. Do that not only for your own generation but for the future
generations as well.”

彼らが微笑めるようになって赦しの気持ちが芽生えてきたら、時期を見計らって、
こう言ってあげるのです。「自分の文化に戻りなさい。家族や教会が待っていますよ。
あなたは必要とされています。みんなあなたが新しい風を吹きこんで、二度と若者を
遠ざけないようにしてくれることを願っています。あなたの世代のためだけでなく、
未来の世代のためにも、そうしてください。」

 

Going Home: Jesus and Buddha as Brothers

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イエスとブッダ: いのちに帰る

イエスとブッダ: いのちに帰る

  • 作者: ティク・ナット・ハン,池田久代
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あなたの内なるブッダとは?「イエスとブッダ いのちに帰る」その6

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われわれ日本人にとってなじみの深い祈りの言葉「南無阿弥陀仏」は、英語で
言うと”I take refuge in Amida-Buddha”つまり「わたしは阿弥陀仏に帰依します」
ということ。さらに広い意味で、東洋で使われている「わたしはブッダに帰依する」
とは、実は、歴史の教科書で学ぶ「お釈迦様」を信仰するという意味を超え、
われわれ一人ひとりの中に存在する「ブッダ(仏性)」に関わる意思表明の言葉
であると、禅僧ティク・ナット・ハンは言います。どういうことでしょうか。

 

If you do well in that practice, some day you will come to the understanding that
the Buddha is not really another person. The Buddha is within us, because
the substance that makes up a Buddha is the energy of mindfulness,
of understanding, and compassion.

練修が進むと、いつかブッダは自分とは別の存在ではないという理解に達し、
自分のなかにいるブッダに気づく日が訪れます。ブッタを構成している内実は、
マインドフルネス、理解、慈悲というエネルギーだからです。

 

If you practice well and listen to the Buddha, you know that you have
the Buddha nature within you. You have the capacity of waking up,
of being understanding, and compassionate. Therefore, we have made progress
and now we are seeking the Buddha from within. The Buddha ceases to be
the other. The Buddha can be touched everywhere and especially within yourself.
練修がもっと深まり、ブッダの声に耳を傾けていくと、自分の内部に仏性が
あることに気づきます。あなたには目覚める力、理解と慈悲の力があるからです。
こうなるとさらに修行が進んで、内側からブッダを求めるようになってきます。
そのとき、ブッダはひとりの人間であることをやめるのです。どこででもブッダ
触れることができ、特に、あなたのうちに宿るブッダに触れることができるように
なるのです。

 

Buddha nature is the capacity of being awake, of being mindful and concentrated
and understanding. And you know very well by yourself that it is a reality that
you can touch within yourself anytime.

仏性とは目覚める能力であり、気づき、集中し、理解する能力です。ブッダとは、
いつでも、自分の力で、自分自身のなかで触れることができる生命の本質、
リアリティであることをあなたは悟ります。

 

Taking refuge in the Buddha in this way will be the practice of generating
the energy of love. You see the suffering in yourself and around you and
you are determined to end the suffering by touching the nature of
understanding, compassion, and enlightenment in you. Because you can touch
the Buddha nature in you, you produce the mind of enlightenment.

ブッダに帰依するとは、慈愛のエネルギーを生みだす練修です。あなたは自分の
なかや周囲の苦しみを見て、みずからのうちにある理解と慈悲と悟りの本質に
触れることによってその苦しみを終わらせようと決意します。自分のなかの仏性に
触れることができれば、悟りの心が生まれてきます。

 

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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幸福へのマインドフルネスと5つのチカラ。「イエスとブッダ いのちに帰る」その5

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仏教に由来するマインドフルネスは、ただの休息法、集中力を養うノウハウを
超えて、幸せな人生を送るために欠かせないもの。禅僧ティク・ナット・ハンの
著作から、それは、信じるチカラ(信力=faith)、勤勉のチカラ(精進力=diligence)、
集中するチカラ(定力=concentration)、洞察するチカラ(慧力=insight)などとともに、
「念力=mindfulness」と呼ばれ、幸福を獲得するために必要な5つのチカラ(五力=
the Five Faculties)の中心であることがわかります。

 

Mindfulness has been described as the heart of Buddhist meditation. Mindfulness is
to be there, alive in the present moment, body and mind united. It is the capacity of
being there in order to live deeply every moment of your daily life. You are mindful
when you walk, when you drink your tea, while sitting with your friends, your brother,
and your teacher. You notice that the moments when you are with him or with her
are precious moments.

マインドフルネスは仏教の瞑想行の核心と言われます。マインドフルネスは、
いま・この瞬間に、心と身体をひとつにして、いきいきと存在することです。
毎日の生活の一瞬一瞬を深く生きるために「いま・ここにある能力」といっても
よいでしょう。歩くとき、お茶を味わうとき、友や兄弟や師とともに坐るとき、
あなたはマインドフルになります。彼らとともにいる瞬間がかけがえのない瞬間だ
と気づきます。

 

Mindfulness is to become completely alive and live deeply each moment of your
daily life. Mindfulness helps you to touch the wonders of life for self-nourishment
and healing. It also helps you to embrace and transform your afflictions into joy
and freedom.

マインドフルネスとは、人生の瞬間を深く完全に生きることです。マインドフルネス
は、みずからを養い育て癒しながら、生のふしぎに触れることです。人生の苦悩を
抱きしめ、喜びと自由に変容する手だすけをしてくれるものです。

 

When you drink coffee, when you hold the hand of your child and walk, when you
are really there, fully present and concentrated, you enjoy it more. You understand
more of what is going on. That is mindfulness. That is concentration. That kind of mindfulness, concentration, and insight improves your happiness, your peace.

コーヒーを飲むとき、子どもの手をとって歩くとき、あなたがいま・ここに集中して、ほんとうにそこにいるとき、ひとつひとつの行為をもっと楽しむことができるようになり、いま起こっていることをもっと理解できるようになります。これがマインドフルネスです。これが集中です。そのマインドフルネスや集中、洞察こそが、あなたの幸福や平和を増進します。

 

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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真の信仰と盲目の信仰の違いとは? 「イエスとブッダ いのちに帰る」その4

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「信仰」と聞いて、すぐに既成の宗教への入信を想像し、拒否反応を示す人も
多いと思いますが、マインドフルネスの伝道師ティク・ナット・ハンの説く
「信仰」は、必ずしも、宗教の道に入ることを意味しません。彼の言葉に耳を
傾けてみましょう。

 

True faith comes from how the path you are taking can bring you life and love
and happiness everyday. You continue to learn so that your happiness and
your peace, and the happiness and peace of the people around you, can grow.
You don’t have to follow a religious path in order to have faith. But if you are
committed only to a set of ideas and dogmas that may be called faith, that is
not true faith. We have to distinguish. That is not true faith, but it gives you energy.
That energy is still blind and can lead to suffering; it can cause suffering for other
people around you. Having the kind of energy that can keep you lucid, loving,
and tolerant is very different from having energy that is blind. You can make
a lot of mistakes out of that kind of energy. We have to distinguish between true
and blind faith. That is a problem in every tradition.

ほんとうの信仰は、あなたのいきいきとした愛と幸福の生活から生まれるものです。
学びつづけることによって、あなたやまわりの人々の幸福や平和が育ちます。信仰を
持つのに、宗教の道に入る必要はありません。信仰という名の観念やドグマに関わる
だけなら、それは真の信仰とはなりません。これを混同しないようにしてください。
真の信仰ではないのに、力だけが与えられることがあるからです。その力は盲目で
人を苦しみに向かわせて、まわりの人々の苦しみを引き起こします。明快で愛に満ち
忍耐強いエネルギーをもつことと、未熟で盲目的なエネルギーをもつことは別もの
です。そのようなエルルギーからは、大きなあやまちが生まれます。真の信仰と
盲目の信仰を区別しなければなりません。これがどの宗教でも陥りがちな問題です。
 

ちょっと長い引用になりましたが、例えば、オウム真理教の問題などを思い起こして
みれば、ティク・ナット・ハンの言う「盲目の信仰」の意味するところがわかると
思います。逆説的な言い方かもしれませんが、人間よりも何か大きな存在を信じる
「信仰」と、自分と「宗教」の関わり方は、一度分けて考えたほうが良いのかも
知れません。ただ、人は何かを信じなければ生きていけない生き物であることも、
また事実。最後に、かなり厳しい意見になるかもしれませんが、ティク・ナット・
ハンの以下の言葉を引用したいと思います。

 

People who do not believe in anything are those who suffer the most. They don’t
see anything beautiful, or true, or good. They are in complete confusion. That is
the utmost kind of suffering. They might suffer more deeply than any others we
might encounter. When you don’t believe in anything, you become sort of
wandering soul; you don’t know where to go or what to do. You don’t see any meaning
in being alive. Because of that, you may try to destroy yourself physically and mentally.
And there are so many ways of self-destruction available today.

何も信じられない人は、もっとも苦しむ人です。美しいものも、真実のものも、
善きものも、何も見えなくなり、完全に混乱して、極限の苦しみを味わいます。
彼らの苦しみは、私たちが出会うどんな人よりも、さらに深いものであるかも
しれません。何も信じない人は、さまよえる魂のような存在です。どこへ行くべきか、
何をすべきかを知らず、生きている意味も見いだせません。肉体的にも精神的にも
自己破滅に向かいます。そして今日ほど、自己破滅への道が用意された時代はないの
です。

 

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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自分を見失わないためのマインドフルネス。「イエスとブッダ いのちに帰る」その3

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今、世界中の人々が注目し実践しているマインドフルネスは、もともと仏教の教え。
こころを静めて、いま・ここに戻り、あらゆることを深く見つめ、深く触れる手助け
をしてくれるエネルギーです。マインドフルネスによって、私たちは、迷った時に
帰るべき場所、すなわち「わが家」は自分自身だと気づかされる、と禅僧ティク・
ナット・ハンは言っています。

 

Every time you feel lost, alienated, cut off from life, or from the world, every time
you feel despair, anger, or instability, you have to know how to practice going home.
Mindful breathing is the vehicle that you use to go back to your true home.

喪失感や疎外感を感じたとき、人生や世界から切り離されたと感じたとき、絶望や
怒りを感じたときはいつでも、わが家に戻る練修をしてください。マインドフルな
呼吸は、あなたが自分のほんとうの家に戻るための乗りものになります。

 

Live your daily life in a way that you never lose yourself. When you are carried away
with your worries, fears, cravings, anger, and despair, you run away from yourself
and you lose yourself. The practice is always to go back to oneself. You have a
wonderful vehicle. And you don’t have to buy any gasoline. Mindful breathing and
mindful walking are wonderful ways to go back to oneself.

毎日けっして自分を見失わないようにすごしてください。心配ごと、怖れ、渇望、
怒り、絶望に心を奪われたら、自分から逃げだして、自分を見失います。いつも
自分自身に戻る練修をしてください。あなたは素晴らしい乗りものに乗っています。
ガソリンを買う必要がないのですから。マインドフルな呼吸、マインドフルな歩きは、
自分に戻る素晴らしい方法です。

 

Why do you have to run to find your home? Your home is here, your home is now.
Recognize it. Everything, everyone is part of your true home. You have a lot of space.
You are not isolated.

自分の家を見つけるのに、どうして走りまわらなければならないのでしょうか。
あなたの家はここにあります。あなたの家はいま・この瞬間です。気づいてみて
ください。ものも人もすべて、あなたの愛しいわが家の一部です。あなたのなかに
広い空間があります。孤立などしていません。

 

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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