阿弥陀仏の本願は、あなたにとってどんな意味を持つか? それは、浄土真宗の核心
「信心」を探ることで見えてくると言います――バイリンガルで、どうぞ。
What does the Primal Vow of Amida Buddha mean for you? It is said that
you would find it in exploring “Shinjin awareness,” the core of Jodo-Shinshu
――more to come both in English and in Japanese.
What other quality does Shinjin awareness contain?
The other prominent quality is the absence of doubt. The elimination of doubt
corresponds to the second quality of the initial level of enlightenment common
to all the Buddhist schools. Shinran Shonin explains:
Truly we know, then, that this is called Shinjin because it is untainted
by the hindrance of doubt.
(Teachings Ⅱ, p.228)
The doubt that is eliminated in Shinjin awareness is the doubt we have
about the truth of the Primal Vow and its meaning. The word hear (=Shinjin awareness)
in the passage from the Larger Sutra means that sentient beings, having heard
how the Buddha’s Vow arose――its origin and fulfillment――are altogether
free of doubt.
信心には他にどんな特質がありますか?
その他の特質としては、疑念がないということがあげられます。疑念をなくすとは、
すべての仏教に通じる悟りの初期段階の特徴に符合します。親鸞は次のように述べて
おられます。
よく知ってください。疑いが無いからこそ、これを信心と言うのです。
信心というめざめによって取り除かれる疑いとは、本願の真実やその意味に対する
疑念です。『大無量寿経』にある「聞く」という言葉は、仏陀の誓願がいかに
起こされるか、そのいきさつと成就を聞く衆生は、疑いから解き放たれるという
意味です。
In order for us to eliminate doubt, the Vow in this sacred story must come
to hold a personal meaning for each of us. For many people in the tradition,
the Vow has signified the true caring that exists in the universe and in their lives.
疑いをなくすために、この『大無量寿経』の聖なる物語 (sacred story) の中の誓願が、
我々一人ひとりに実存的意味を持つようにならねばなりません。浄土真宗の伝統の中に
生きてきた多くの人々にとって、この誓願とは宇宙に遍在し、彼らの暮らしの中に
生きている真の慈悲 (true caring) を意味しているのです。
The meaning of the Vow must come alive in ways unique to each of us.
The Vow cannot simply remain just a story in a scripture but become true and real
in the spiritual search of each person. Shinran Shonin expresses this
in one of the most often quoted lines in Jodo-Shinshu:
When I ponder on the compassionate vow of Amida, established through five kalpas
(eons) of profound thought, it was for myself Shinran, alone.
(Tannisho, p.35)
He is certainly not monopolizing the Vow for himself, but is expressing the joy and
gratitude of realizing that he himself is a beneficiary of the compassionate Vow.
誓願の意味が私たち一人ひとりにユニークな方法で生きてこなくてはなりません。誓願
は経典の中の単なる物語としてではなく、各自の宗教的求道の中で真実で現実で
なくてはなりません。真宗で最もよく引用される文章ですが、親鸞は次のように
言われたと伝えられています。
弥陀の五劫思惟の願いをよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
(『歎異抄』)
むろん、親鸞が誓願を独占しようとしているのではありません。自分自身が慈悲の誓願
の受益者であることを認識した喜びと、感謝の気持ちを表現しているのです。
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