しあわせになる英語 English for Happiness

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「悟りを生きる」。その13。あなたの「気づき」に関する誤解が、深刻な問題を引き起こしている? “Living Realization” No.13―Is your misunderstanding about “awareness” the cause of serious problems ?

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「気づき」を、何か超越的なものと見なすことは、深刻な問題を引き起こすと言います
――解説を、バイリンガルで、どうぞ。
To treat “awareness” as some transcendent thing is said to be the cause of serious
problems――more to come both in English and in Japanese.

 

 

 

Awareness has no form of its own. It takes the form of whatever is happening right now.
Your present experience includes sleeping, eating, going to work, being with your
children, being excited and interested, feeling frustrated and bored, experiencing fear or
anger, getting sick, getting well, and everything else that happens in life.

気づき自体には何の姿形もなく、常にその時に起きている物事の姿をまといます。今の
あなたに起きている体験には、例えば寝る、食べる、仕事をする、子供と過ごす、
興味津々になってわくわくする、退屈でいらいらする、恐れや怒りを感じる、病気に
なる、回復するなどの様々な人生の出来事があるでしょう。

 

 

None of this could be known, seen, or experienced without awareness, and everything
that you know, see, and experience in your everyday life is inseparable from awareness.
This is why it is problematic (and dualistic) to treat awareness merely as transcendent,
and somehow above, beyond, or behind the moment-to-moment happenings of your
life.

気づきがなければ、私たちはそれらのどれ一つとして知ったり、見たり、体験したり
できません。日々の生活で知ったり見たり体験したりすることはすべて、気づきとは
切り離すことができません。だからこそ、気づきを単にその時々の生活での出来事
よりも何かしら高尚で、それらの向こうや背後にある超越的なものと見なすことが問題
を引き起こす(そして二元的になる)のです。

 

 

In the recognition of awareness, we do experience a sense of not being ultimately
touched by any of the appearances that come and go. Things happen, but are no longer
hooked into a personal story.

気づきを認識すれば、訪れて去っていく現れによって最終的に傷つけられてしまう
ようなことは起きないとわかります。いろいろなことは起き続けますが、個人の物語の
中に組み込まれることはなくなります。

 

 

This seeing allows a good deal of mental and emotional turbulence to come to rest. We
no longer identify with what happens in our lives. We experience the world as illusory or
dream-like. And yet, it is not a detachment from life. Awareness cannot detach from
appearances because appearances are inseparable from awareness.

これがわかれば、心理的、感情的な大嵐はかなり収まります。何かが起きてもそれを
自分にかかわることとは受け止めなくなり、この世界は幻想や夢のようなものだという
感覚をもちます。それでいて、様々な体験を突き放して見ているわけではありません。
気づきが現れを突き放すことは不可能なのです。なぜならば、現れは気づきから
切り離せないものですから。

 

 

The recognition of awareness does not take you out of everyday existence. It allows you
a newfound freedom to be in your everyday life with a complete acceptance of all that is
happening.

気づきを認識したら、あなたが日常的現実から抜け出てしまうわけではありません。
そうではなくて、起きることをすべて丸ごと受け入れながら、日々の生活の中に新しい
自由を発見するようになるのです。

 

 

It is the freedom to actually live your life without the belief in separation. The belief in
a separate self to which everything is happening is seen through, as we rest in
thought-free awareness over and over, and then notice that even thoughts come and go
to awareness.

あなたは自分を独立した存在だと思い込むことなしに、現実の人生を自由に生きます。
思考のない気づきの中で休息することを何度も繰り返すうちに、いろいろな体験を
している独立した自己などいないと見抜くようになり、思考でさえも現れたら消えて
しまうものだとわかります。

 

 

Nothing is happening to a “me.” The idea that things are happening to “me” is another
idea that comes and goes inseparably to awareness.

「私」なるものには何も起きていません。「私」に様々な出来事が起きているという
観念も、気づきに、気づきとは切り離せない形で現れ、やがて消えてしまうものです。

 

 

The invitation here is to be easy on yourself. Start with resting in thought-free awareness,
and then notice that each appearance comes and goes.

ここで提案したいのは、ゆっくり進みましょうということです。まずは思考のない
気づきの中で休息することから始めて、次に現れはどれもこれも訪れたら去ってしまう
ことを理解しましょう。

 

 

When the appearance of the moment is thought-free, notice that this thought-free
experiencing and the experience of thinking both come and go equally. See that even
the thoughts, “There is a self,” and “There is no self,” come and go freely and
uninterruptedly.

この瞬間の現れには思考が含まれていなくても、その思考のない体験も思考するという
体験も、同じように訪れては去っていくものなのです。「自己は存在する」とか「自己
は存在しない」とかの思考でさえも、勝手に次から次へとやって来ては去って
しまいます。

 

 

Nothing is closer or farther from awareness. The word awareness is just a way of saying
that this moment takes whatever form it takes. We find no need to manage or control
the appearances. They are all allowed equally. Treating all appearances as equal allows us
to see there is no need to emphasize any particular appearance.

どれかが気づきに近くてどれかが遠いということはありません。気づきという言葉は、
今の瞬間がどのような姿をしていようとも、それが今の瞬間だということを表現する
ために使われています。現れを支配したり管理したりする必要はありません。すべての
現れは平等に許されています。すべての現れを平等に扱うと、いずれかを特別に重視
する必要はないことがわかってきます。


 

 

 

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