ほとんどの人は、自分の「思考」に関して、「間違った信念」を抱いており、それが
苦しみの原因になっていると言う――解説を、バイリンガルで、どうぞ。
Most people are said to have the “wrong belief” concerning their own “thoughts,” which
is the cause of suffering――more to come both in English and in Japanese.
Do you see why we suffer and seek? There is an underlying belief that we can do
something with thoughts. Yet the notion that we can do something with thought
(manage it, make it more positive, neutralize it, or get rid of it) is just another thought.
That is all.
なぜ私たちが苦しんだり追求したりするのかがわかるでしょうか? 私たちの心の底
には、思考は自分で変えられるという信念があります。ところが、そのような発想
(思考を管理しよう、もっとポジティブに変えよう、無力化しよう、取り除こう) も、
単にもう一つの思考なのです。結局はそういうことです。
The belief that we can manipulate a thought comes from thought itself. It comes from
the notion that there is a separate person inside that can isolate thought and do
something with it. Try to find that person. It’s a thought.
自分で思考を操れるという信念の根拠は思考そのものなのです。根拠となっている
のは、この体の中には独立した個人がいて、その人は思考を取り出して手を加えること
ができるという発想です。その人を見つけることはできるでしょうか? その人は思考
です。
In this seeing, thoughts are allowed to be just as they are naturally, without effort. And
because the world of apparent things and people arises by way of thoughts, when the
thoughts are allowed to be just as they are, the world of people and things is allowed to
be just as it is. This is perfect acceptance.
これが見抜ければ、努力しなくても自然に思考をあるがままにしておけるように
なります。様々な人やものが存在するように見えている世界は思考によって現れる
ので、あるがままの思考が許されると、人とものから成るこの世界はあるがままに
あることが許されます。これが完全な受容です。
But let’s not leave it there. In pointing in this way, we continuously emphasize the
concept “thought.” What happens when you look at thought without the idea that it is
a “thought?” You don’t find anything separate――only seamless experiencing.
でも、これで終わりにするわけにはいきません。こういう話をしていても、私たちは
相変わらず「思考」という概念を重視しています。これは「思考」だという考えなしに
思考を見たら、何が見えるでしょう? その時はただ継ぎ目のない体験があるだけで、
それと別に存在するものは何も見えません。
Where is a thought located? Notice the tendency to say that a thought is located in the
mind or in the body. Aren’t those also thoughts? In relaxing the thoughts “body” and
“mind,” notice that thoughts bleeds seamlessly out of nowhere and disappears
seamlessly into nowhere. It’s like a breeze blowing through wind. You can’t find its
definite starting or ending point.
思考はどこにあるのでしょう? 私たちはつい思考はマインドにあるとか、体の中にある
とか言ってしまいます。でも、それも思考ではないですか? 「体」や「マインド」
などの思考をゆるめると、思考はどこからともなく滑らかににじみ出てきて、滑らかに
どこへともなく消えていくのがわかります。まるで空気の中をそよ風が通り抜ける
ようなものです。どこからどこまでがそれなのかを明確に知ることはできません。
When the mind, body, and person are seen as empty of separate nature, you no longer
believe that thoughts are located somewhere inherently. They simply arise to paint
experience a certain way in each moment. Enjoy the painting, but don’t take it too
personally, especially since you can’t find the person when you look for him.
マインド、体、人間はそもそも独立して存在するものではないことを見抜くと、思考が
本来どこかに帰属しているとは考えなくなります。思考は単に、毎瞬毎瞬の体験に
独特な絵を描くためにやって来ます。あなたはその絵を楽しめばよいのです。でも
あまり個人的に受け止めてはいけません。何しろ、その個人はどこにも見つからないの
ですから。
Living Realization: A Simple, Plain-English Guide to Non-Duality (English Edition)
- 作者:Kiloby, Scott
- 発売日: 2014/11/07
- メディア: Kindle版
■プライバシー・ポリシー
当ブログは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得
できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、
Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。このプログラムにおいて、
第三者がコンテンツおよび宣伝を提供し、ユーザーからの情報を収集し、訪問者の
ブラウザーにクッキーを設定することがあります。プログラムにおいて情報の
扱いについてはAmazon.co.jpプライバシー規約をご確認ください。
Amazon.co.jp ヘルプ: Amazon.co.jp プライバシー規約