人間にとってこの世界は苦しみだらけである、というのがブッダが最初に説いた教え。
そんなネガティブな考え方は受け入れられない、と思う方も多いかもしれませんが、
この「苦しみ (suffering) 」に対する姿勢が、幸せな人生を送れるかどうかを決めている
と言います。ダライ・ラマの見解を、バイリンガルでご紹介します。
“For instance, if your basic outlook is that suffering is negative and must be avoided
at all costs and in some sense is a sign of failure, this will add a distinct psychological
component of anxiety and intolerance when you encounter difficult circumstances,
a feeling of overwhelmed,”
「例えば、自分の基本的な見方が苦しみは否定的で、どんな犠牲を払ってでも避ける
べきであり、ある意味では破滅の兆候であると考える人は、困難な状況に立たされた
場合、明らかに心理学的構成要素である不安や不寛容、つまり何かに圧倒されている
感情をいだくようになるでしょう」
“On the other hand, if your basic outlook accepts that suffering is a natural part of your
existence, this will undoubtedly make you more tolerant towards the adversities of life.
And without a certain degree of tolerance towards your suffering, your life becomes
miserable; then it’s like having a very bad night. That night seems eternal, it never seems
to end.”
「一方、基本的な見方として苦しみは自分存在の一部であると受け入れる人は、
とまどうことなく人生の逆境に対し寛容でいられるのです。苦しみに対する寛容さを
ある程度もっていないと、悪夢の夜を過ごしているように、人生はみじめなものに
なります。その夜は永遠に続くように思われます。決して終わることはないように
見えます」
“The point that has to be borne in mind is that the reason why reflection on suffering is so
important is because there is a possibility of a way out; there is an alternative. There is
a possibility of freedom from suffering. By removing the causes of suffering, it is possible
to attain a state of Liberation, a state free from suffering.”
「なぜ苦しみについて考えることがそれほど大切なのかという理由を、心に刻んで
おかなければなりません。なぜなら苦境から脱却できる可能性があるからです。方策が
あるのです。苦しみから自由になる可能性があるのです。苦しみの原因を取り除くこと
によって、解脱という状態に達することが可能です」
“According to Buddhist thought, the root causes of suffering are ignorance, craving, and
hatred. These are called the ‘three poisons of the mind.’ These terms have specific
connotations when used within a Buddhist context.”
「仏教思想によれば、苦しみをつくりだす根源は無知と、渇望と、憎悪だと考えて
います。これら三つは心を毒するものと呼ばれています。仏教との関連で使われる
場合、これらの言葉は特別な意味を含んでいます」
“For example, ‘ignorance’ doesn’t refer to a lack of information as it is used in
an everyday sense but rather refers to a fundamental misperception of the true nature of
the self and all phenomena. By generating insight into the true nature of reality and
eliminating afflictive states of mind such as craving and hatred, one can achieve
a completely purified state of mind, free from suffering.”
「例えば、『無知』は現在使われているような情報の不足ではなく、自己とすべての
現象の本性を基本的に誤って認識してしまうことを指します。現実の真の本性を
洞察し、渇望や憎悪といった苦悩をもたらす心の状態を滅することによって、人は
無垢な心の状態に到達することができ、苦しみから自由になることができるのです」
“Within a Buddhist context, when one reflects on the fact that one’s ordinary day-to-day
existence is characterized by suffering, this serves to encourage one to engage in the
practices that will eliminate the root causes of one’s suffering. Otherwise, if there was
no hope, or no possibility of freedom from suffering, mere reflection on suffering just
becomes morbid thinking, and would be quite negative.”
「これも仏教に関して言えることですが、人が自分の普段の日々の存在は苦しみを
もって特長をなすという事実について考えることは、苦しみの原因を根絶するための
修行にとりかかれるということです。もしそのような希望、または苦しみを脱する
可能性がなければ、苦しみについて思考を巡らすことは単に憂うつな考え方になり、
まったく否定的なものになってしまいます」
このようなダライ・ラマの言葉を受けて、「ダライ・ラマ こころの育て方」の著者
ハワード・C・カトラーは、以下のように述べています。
Of course, the wish to get free of suffering is the legitimate goal of every human being.
It is the corollary of our wish to be happy. Thus it is entirely appropriate that we seek out
the causes of our unhappiness and do whatever we can to alleviate our problems,
searching for solutions on all levels――global, societal, familial, and individual.
もちろん、苦しみを逃れたいというのはすべての人間にとって道理にかなった目的で
ある。幸せになりたいという願いの当然の結果と言える。このように私たちが地球、
社会、家族、個人といった、すべてのレベルにおける解決策をさぐりながら、自分たち
の不幸の原因をさぐり、問題を和らげようと手を尽くすことは、まったく正当なことで
ある。
But as long as we view suffering as an unnatural state, an abnormal condition that we
fear, avoid, and reject, we will never uproot the causes of suffering and begin to live
a happier life.
しかし、私たちが苦しみを不自然な状態であるとか、私たちが恐れ回避し拒否すべき
異常な事態だなどと考える限り、私たちは苦しみの諸原因を決して根絶できないし、
より幸福な生活を送ることなど決してできないのである。
- 作者: ハワード・C.カトラー,ダライラマ14世,Dalai Lama,Howard C. Cutler,今井幹晴
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