「アフター・コロナ(コロナ以後)」と言われるほど、今までの価値観の変革を
求められる今。何か知性を超えたものを信じたい気持ちを、多くの人が抱いている
のではないでしょうか?「近代神学の父」と呼ばれるフリードリヒ・シュライアマハー
が、宗教があなたの心をどう変えるかについて解説――バイリンガルで、どうぞ (日本
語版はドイツ語初版からの翻訳なので、英語版との間に多少の違いがあることをご了承
下さい)。
Now is the time even entitled “After Corona,” which is asking for the transformation of
our past values. Many people might feel pulled toward a belief in something beyond
intellect. Friedrich Schleiermacher, who is called “Father of Modern Liberal Theology,”
gives us commentaries on how religion makes your mind change――more to come both
in English and in Japanese (I hope you will understand that there are some differences
between the English version and the Japanese one because the Japanese one is
translated from the first German edition).
And when we have intuited the universe and, looking back from that perspective upon
our self, see how, in comparison with the universe, it disappears into infinite smallness,
what can then be more appropriate for mortals than true unaffected humility?
また私たちが宇宙を直観し、そのことによって私たちの自我を省み、それを宇宙と
比較し、私たちがいかに小さなもので、消滅してしまうようなものであるかを知った時
に生まれるのは、人間にとって真実で、正直な謙虚ではないでしょうか。
When we also perceive our fellow creatures in the intuition of the world and it is clear to
us how each of them without distinction is his own representation of humanity as we are,
and how we would have to dispense with intuiting this humanity without the existence of
each one, what is more natural than to embrace them all with heartfelt love and affection
without any distinction of disposition and spiritual power?
さらに私たちが世界の直観の中で、私たちの同胞を認識し、彼ら個々人が、私たちと何
の違いもなく、私たちと同じであり、それは人間性の固有の表現であることが明らかに
なるなら、また私たちはそのような個々の存在なしには、この人間性を直観することが
できないのだということが明らかになるならば、私たちはすべての同胞を、意識や
精神力の区別なしに、内的な愛と好意をもって抱擁するでありましょう。これよりも
人間として自然なことがあるでしょうか。
And when we look back from their connection with the whole to their influence on what
happens to us, and then consider those who have diminished their own transient nature
and the drive to enlarge and to isolate it in order to maintain ours, how can we refrain
from feeling a special kinship with those whose action once defended our existence and
happily guided it through its dangers?
そしてまた同胞全体との結合から目を転じて、今度は同胞からの私たちのさまざまな
出来事への影響の中に、彼ら自身の大変儚い存在を犠牲にし、自らの存在を拡大し、
独自なものにしようとする努力を放棄してまでも、私たちの存在を維持しようと努力
してくれる人が現れ出たとしたら、私たちは、かつて私たちの存在のために戦い、
さまざまな危険をおかしてまでもそれを無事に守ってくれた人々に対する特に親しい
感情を思い起こすことを誰も防げることはできないはずです。
How can we refrain from that feeling of gratitude that prompts us to honor them as
people who have already united themselves with the whole and are conscious of the
same in their lives?
その想いは、彼らを既に全体と結合し、自らの生をその全体性の中に自覚した者
として、彼らを尊敬したいという感謝の感情なのです。
What is more natural than the humblest desire to be reconciled to the deity, than the
most ardent longing to turn back and save ourselves, along with all that is ours, in that
holy realm that alone is security against death and destruction?
さらには、神との和解という謙虚な願望、死と破壊から守ってくれるただひとつの
避難場所である聖なる領域において、私たちが持ち得た全てのものとともに救われたい
という願望ほど、私たちにとって自然なものがあるでしょうか。
Al these feelings are religion, and likewise all others in which the universe is one pole and
your own self is somehow the other pole between which consciousness hovers. The
ancient certainly knew this. They called all these feelings “piety” and referred them
immediately to religion, considering them its noblest part.
このような感情が宗教なのです。また、ひとつが宇宙、もうひとつが何らかの仕方で、
みなさん自身の自我という両極なものがあって、その間で感情が揺れているという
場合、これも宗教なのです。古代の人々はそのことをよく知っていたのです。彼らは
このような感情を敬虔と名づけ、それを直接宗教と関係付けたのですが、これこそは
彼らにとって宗教のもっとも崇高な部分だったのです。
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