結局、私たちは何のために、瞑想を、ダンマを修行しているのか? ブッダからの究極の
答えが、ここにある――解説を、バイリンガルで、どうぞ。
After all, for what do we practice meditation; Dhamma? Here we have the ultimate
answer from the Buddha ――more to come both in English and in Japanese.
Once the Buddha was asked to explain real happiness. He enumerated various
wholesome actions which are productive of happiness, which are real blessings. All these
blessings fall into two categories: performing actions that contribute to the welfare of
others by fulfilling responsibilities to family and society, and performing actions that
cleanse the mind. One’s own good is inextricable from the good of others. And at the last
he said,
あるとき、ブッダは真の幸福について教えを請われたことがある。ブッダは、幸福を
招き、真の恩恵を得る行為の例をいろいろあげた。幸福をもたらす行為は大きく分けて
二つある。一つは、家族や社会に対する責任を果たし、人々の福祉に貢献する行為
である。もう一つは、心を浄化する行為である。自分の幸せは、他人の幸せで
間に合わせるわけにはいかない。そこで、ブッダは最後にこう言っている。
When faced with all the ups and downs of life,
still the mind remains unshaken,
not lamenting, not generating defilements, always feeling
secure;
this is the greatest happiness.
人生の浮き沈みに直面しても、
心が動揺することなく、
嘆くことも、悪意を抱くこともなく、いつもやすらいでいる。
これが最大の幸福である。
No matter what arises, whether within the microcosm of one’s own mind and body or in
the world, one is able to face it――not with tension, with barely suppressed craving and
aversion――but with complete ease, with a smile that comes from the depths of the
mind.
心とからだという小宇宙のなかであれ、外の世界であれ、どのようなことが起きても
正面から対処することができる。緊張することなく、むりに渇望と嫌悪をおさえること
なく、じつにおだやかで、心の底からほほえみを浮かべ、問題に立ち向かう。
In every situation, pleasant or unpleasant, wanted or unwanted, one has no anxiety, one
feels totally secure, secure in the understanding of impermanence. This is the greatest
blessing.
楽しいとき、楽しくないとき、思いどおりになるとき、思いどおりにならないとき、
どのような状況においても、まったく不安がなく、落ち着いている。すべては無常
であるとさとり、なにひとつ心配することがない。これが最大の幸福である。
Knowing that you are your own master, that nothing can over-power you, that you can
accept smilingly whatever life has to offer――this is perfect balance of the mind, this is
true liberation.
自分が自分の主人であり、なにものも自分を打ち負かすことはできない。生きてゆく
上でなにが起ころうと、ほほえんでそれを受け入れることができる。このことを
さとれば、心は完全にバランスを保ち、ほんとうに自由になる。
This is what can be attained here and now through the practice of Vipassana meditation.
This real equanimity is not merely negative or passive aloofness. It is not the blind
acquiescence or apathy of one who seeks escape from the problem of life, who tries to
hide his head in the sand. Rather, true mental balance is based on full awareness of
problems, awareness of all levels of reality.
ヴィパッサナー瞑想法の修行によって、いまここで、それが可能になる。この心の
平静さはほんものである。ただなにもしないでいるとか、遠くから自分をながめる
ということではない。人生の諸問題から逃げ、現実を回避し、ただおとなしく生きて
ゆくとか、無関心をきめこむことでもない。ほんとうの心のバランスというのは、
むしろ、すべての問題に気づいていること、あらゆるレベルの現実に気づいている
こと、その上に成立するのである。
The absence of craving or aversion does not imply an attitude of callous indifference, in
which one enjoys one’s own liberation but gives no thought to the suffering of others,
On the contrary, real equanimity is properly called “holy indifference.” It is a dynamic
quality, an expression of purity of mind. When freed of the habit of blind reaction, the
mind for the first time can take positive action which is creative, productive, and
beneficial for oneself and for all others.
渇望しない嫌悪しないといっても、ただ無関心になるのとはちがう。自分だけが解脱を
楽しみ、他人の苦しみを考えないというのではない。真の心の平静さというのは、
「とらわれのない清らかな心」とでも呼ぶべきものである。それはきわめて動的なもの
で、純粋な心がそのままあらわれる、といってよい。その場しのぎの反応ぐせから心が
解放されたとき、はじめて前向きな行動をとることができるのである。その行動は
創造的であり、生産的であり、自分のために、そして他のすべての人のためになる。
Along with equanimity will arise the other qualities of a pure mind: good will, love that
seeks the benefit of others without expecting anything in return; compassion for others
in their failings and sufferings; sympathetic joy in their success and good fortune. These
four qualities are the inevitable outcome of the practice of Vipassana.
心が平静になるにつれて純粋な心のさまざまな特性があらわれる。人々のためを思い、
いっさいの見返りを期待しない善意、そして愛。人生につまずき、苦しんでいる人々
へのあたたかい思いやり。成功や幸運にめぐまれた人々を祝福するすなおな喜び。
ヴィパッサナー瞑想法を修行すると、これら四つの思いが自然に湧き出てくる。
The Buddha said that in cleansing the mind and attaining “wisdom brought to full
perfection,” one experiences “joy, bliss, tranquility, awareness, full understanding, real
happiness.” With a balanced mind we can enjoy life more. When a pleasant situation
occurs, we can savor it completely, having full and undistracted awareness of the present
moment. But when the experience passes, we do not become distressed. We continue to
smile, understanding that it was bound to change.
ブッダは、心を浄化して「完全無欠の知恵」を獲得した者は、「歓喜、至福、静寂、
気づき、完全理解、真の幸福」を体験する、と言っている。心のバランスがとれて動揺
しなくなれば、人生ははるかに楽しいものになる。楽しいことが起こったとき、
その瞬間すべてに気づき、意識が集中していれば、その楽しさをあますところなく
味わうことができる。楽しいことが過ぎ去っても落ち込まない。そういう状況が変化
することをさとっているから、ほほえんでいられる。
Equally, when an unpleasant situation occurs, we do not become upset. Instead we
understand it and by doing so perhaps we find a way to alter it. If that is not within our
power, then we still remain peaceful, knowing full well that this experience is
impermanent, bound to pass away. In this way, by keeping the mind free of tension, we
can have a more enjoyable and productive life.
また、不快なことが起こっても動揺しない。その不快な状況をきちんと把握し、それを
好転させる手段を見つけるだろう。自分の力ではどうにもならないようなときでさえ、
心はやすらいでいる。それとて一時的なもので、かならず変化する。そうさとっている
からだ。このようにして心に緊張をつくらなければ、人生はもっと楽しく、もっと
豊かなものになるだろう。
■プライバシー・ポリシー
当ブログは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得
できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、
Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。このプログラムにおいて、
第三者がコンテンツおよび宣伝を提供し、ユーザーからの情報を収集し、訪問者の
ブラウザーにクッキーを設定することがあります。プログラムにおいて情報の
扱いについてはAmazon.co.jpプライバシー規約をご確認ください。
Amazon.co.jp ヘルプ: Amazon.co.jp プライバシー規約