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「鈴木大拙: 神秘主義 キリスト教と仏教」その8。「禅」は、言葉を超越する? “SUZUKI Daisetsu: Mysticism Christian and Buddhist” No.8――Does “Zen” transcend words?

 

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禅など仏教をアジア以外の世界に紹介したことで有名な、鈴木大拙。彼の名を世界的に
不動のものにした英文による傑作「神秘主義」をご紹介します。「禅」が、どのように
言葉を超越するか解説――バイリンガルで、どうぞ。

SUZUKI Daisetsu was a well-known figure in the introduction of Buddhism, including
Zen, to the non-Asian world. I introduce to you his English masterpiece, “Mysticism,”
which established his reputation worldwide. He gives us commentaries on how “Zen”
transcends words――more to come both in English and in Japanese.

 

 

 

The following mondo will demonstrate how free Zen is in dealing, for instance, with the
ultimate problem of being:

次の問答は、禅の教えが例えば存在の究極的な問題などを取り扱うのにいかに自在
であるかの証明となろう。

 

 

A monk asked Daizui Hoshin of the Tang dynasty:

“I am told that at the end of the universe a great fire takes place and everything is
destroyed. May I ask you whether or not, “this” also shares the fate?”

Daizui replied, “Yes, it does.”

The monk went on, “If this is the case, it must be said that “this” follows others.”

Daizui: “Yes, it does.”

ある僧が大瑞宝身(だいずいほうしん)に訊ねた。

「この宇宙が終末を迎える時には大火が起こって、すべてのものが潰滅してしまうと
聞き及んでいます。一つお訊ねしますが、”このもの” もまた運命を共にするのでしょう
か。あるいはしないのでしょうか」。

大瑞は答えた。

「そうだ。共にするとも」。

その僧は続けて言った。

「もしそうなら ”このもの” もまた他に従うと言わねばなりませんね」と。

大瑞は言った。

「いかにも、その通りじゃ」と。

 

 

The same question was later asked of another master whose name was Shu.

Shu the master answered, “No it does not.”

When he was asked “Why not?” the master replied,

“Because it identifies itself with the whole universe.”

後日、これと同じ問いが周という名のもう一人の師に向けられた。

周老師は答えた。

「いや、運命を共にすることはない」。

「なぜ、共にしないのですか?」

と、また問われて師は答えた。

「なぜならば、それは全宇宙と一体であるからだ」と。

 

 

From the logical linguistic point of view the two Zen masters defy each other and there is
no way to effect a reconciliation. One says “yeas” while the other says “no.” As long as
the “no” means an unqualified negation and the “yes” an unqualified affirmation, there is
no bridge between the two.

論理的・言語学的見方からすれば、二人の老師は相互に否定し合っており、和解の
もたらしようもない。一方は「イエス」と言い、他方は「ノー」と言う。この場合の
「ノー」が絶対否定を意味し、「イエス」が絶対肯定を意味するならば、両者の溝は
埋まらない。

 

 

And if this is the case, as apparently it is, how can Zen permit the contradiction and
continue the claim for its consistent teaching, one may ask. But Zen would serenely go
its own way without at all heeding such a criticism.

もしそういうことであるならば、また実際その通りに違いないのだが、どうして禅の
教えは矛盾を容認し、その教えが一貫しているなどと主張できるのであろうか、と
問う者もあるかも知れぬ。しかし禅はそのような批判には全く留意することなく、平然
としてわが道を往く。

 

 

Because Zen’s first concern is about its experience and not its modes of expression. The
latter allow a great deal of variation, including paradoxes, contradictions, and
ambiguities.

なぜかといえば、禅が最も関心をもっているのは体験であって、その表現形態ではない
からだ。表現形態にはかなりの多様性が認められ、その中には逆説、矛盾、そして曖昧
さなどがある。

 

 

According to Zen, the question of “is-ness” is settled only by innerly experiencing it and
not by merely arguing about it or by linguistically appealing to dialectical subtleties.

禅によれば、”ありのままの真実” の問題はひとえに内面的にそれを体験することに
よって解決されるのであって、単にそれについて論じたり、言葉の上での理詰めで
込み入った議論に訴えたりすることによってではないのである。

 

 

Those who have a genuine Zen experience will all at once recognize in spite of
superficial discrepancies what is true and what is not.

純粋な禅体験を持つ人びとであったならば、表面的な食い違いがあるにも拘わらず、
何が真実で、何が真実ならざるものかを直ちに認得するであろう。

 

 

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