仏教では、尊重すべき様々な徳がありますが、日本人が最も尊重したのは「正直の徳」
だと言います。東洋思想の碩学、中村元による解説。――バイリンガルで、どうぞ。
While there are various virtues that should be valued in Buddhism, the Japanese are said
to have valued “the virtue of honesty” most. Hajime Nakamura, a great scholar of Eastern
ideas, gives commentaries on this ―― more to come both in English and in Japanese.
Although a concept corresponding to the virtue of “honesty” may well have existed since
primitive Shintoism, the term itself was adopted from Buddhism. The word “honesty” may
have come also from the Confucian classics, but it appears in Buddhist scriptures as well.
It was generally recognized by the Japanese of those days that the virtue of “honesty” in
later Shintoism originated from Buddhism.
正直の徳に相当する観念は、すでに原始神道以来あったにちがいないが、このような
呼称は仏教から取りいれたものである。儒教の古典にも「正直」という語が出てくる
が、しかし仏典にもあらわれている。神道の「正直」の徳は仏教に由来するものである
ということを、当時の日本人は一般に認めていた。
The Jōdo doctrine esteems, in particular, the three states of mind, namely, sincerity, belief
in the efficacy of prayer, and wishing to be reborn into the Pure Land, which are requisite
for rebirth in paradise. It was Shinran who made these three states of mind converge
upon one, “a heart of truthfulness, not mingled with illusion; a heart of honesty, not
adulterated with falsehood.” According to Shinran, a religious faith ultimately amounts to
honesty, or being loyal and truthful. Many other Japanese priests also extol the virtue of
honesty in this sense.
浄土教によると、極楽往生のために起こすべき三種の心として至心 (=まことの
こころ)、信楽 (しんぎょう=信じて疑わぬこと)、欲生 (=極楽に生まれようと欲する
こと)、という三つの心 (三心) をとくに尊重する。ところで親鸞によると、この三心
は、けっきょく、一心に帰するものであるが、それを『真実の心にして虚仮雑ること
なし、正直の心にして邪偽雑ることなし』という。親鸞にあっては、信仰は
けっきょく、正直に帰することとなるのである。他の諸高僧も正直の徳を称揚して
いる。
At the beginning of the Tokugawa period in the 17 th century, Zen Master Shōsan Suzuki,
developed a theory of professional ethics of his own in his book, “Rules of Conduct for
Every Citizen,” in which he urged that Buddhism put into practice was nothing but the
virtue of “honesty” acted upon.
また徳川時代初期に禅僧・鈴木正三は、かれの著『万民徳用』において独自の職業倫理
を展開しているが、かれによると、仏教の実践とはけっきょく、いかなる職業のもの
でも、「正直」の徳を実践することにほかならぬと主張している。
Neither in India nor in China was an assertion made so explicit that Buddhism was
nothing but honesty put into practice, although Buddhist teachings in these countries
had similar implications.
仏教とは正直の実践であるという主張は、インドにもシナにも存在しなかった。
もちろん実質的につきつめて考えてみれば、けっきょく同じことになるかもしれない
が、仏教とは正直の徳の実践であるという立言がなされなかったのである。[ただし、
もしも「正直」の意味内容を「真実」「まごころ」の意味だと解するならば、インド
ではsatya がそれに相当し、インドでは古来さかんに説かれている。日本語で「正直」
というと、「真っ直ぐ」「一直線」という空間的表象を思い浮かべるが、インド仏教
は、こういう説きかたはしなかった。]
Thus, both Shintoists and Buddhists in Japan attached great importance to the word
“honesty,” which had appeared only sporadically in Buddhist scriptures, and finally
accorded it the position of the central virtue in the general scheme of Japanese ethics.
このようにして、「正直」という語は仏典のうちにわずかに散説されている程度である
にもかかわらず、神道家によっても仏教家によってもきわめて重要視され、日本人の
一般道徳のうちに中心的徳目としての位置が与えられるにいたったのである。
The virtue of honesty seems to be in harmony with the Japanese propensity to loyalty.
Such a moral consciousness probably emerged from the tendencies of the Japanese to
make much of limited human relationships, their fondness for fashioning a closed social
nexus, and the tendency to demand complete loyalty and mutual trust among those who
belong to that nexus.
正直という徳は、日本人の道徳的気質によく合ったものであるらしい。それは
おそらく、日本人が、人間と人間との関係を重視して、閉鎖的な人間結合組織を形成
することを愛好し、それに所属する人々のあいだではたがいに全面的信頼を要求する
傾向が強いので、このような道徳的自覚があらわれたのであろう。
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