「自己」と言っても、西洋人と東洋人では、かなりの違いがあると言います――
バイリンガルで、どうぞ。
It is said that the Western people are fairly different from the Eastern people in terms of
“self”――more to come both in English and in Japanese.
This enmeshment, a common thread running through many generations, gives
Easterners a certain strength that meditation traditionally builds on. The person’s
capacity for empathic awareness, relaxation of outer ego boundaries, emotional
attunement and receptivity, and a sense of belonging is accepted as a given in the East.
Meditation, as it has been taught in Eastern culture, uses this capacity quickly to establish
a receptive inner environment for spiritual work.
多くの世代を通して貫かれている共通の糸があり、こうして編みこまれていることが
東洋人にある一定の強さを与え、その上に瞑想の伝統が築かれています。東洋では、
共感的な意識、自我境界を緩めること、感情的同調、受容性、帰属意識を持つための
能力は所与のものとして受け取られます。東洋文化の中で伝えられてきた瞑想は、
こうした能力を手早く使って、スピリチュアルな作業をするための受容的な内的環境を
整備します。
The starting point in the West rarely is an enmeshed self; more commonly it is
an estranged one. The emphasis on individuality and autonomy, the breakdown of the
extended and even the nuclear family, the scarcity of “good enough” parenting, and the
relentless drive for achievement versus affection in our society leaves a person all too
often feeling cut off, isolated, alienated, empty, and longing for an intimacy that seems
both out of reach and vaguely threatening.
西洋における出発点が、編みこまれた自己であるということは、まずありません。
一般的に、それは疎外された自己です。西洋社会では、個性と自律が強調され、
拡大家族はもちろん核家族さえもが崩壊しつつあり、「ほどよい」子育ては稀に
なりました。そして情け容赦のない達成VS愛情至上主義によって、人々は切り離され、
隔離され、疎外され、空虚感を感じて、親密さに恋焦がれます。しかし、その親密さ
も、手の届かないもの、漠然とした怖いもののように思われるのです。
At the first cross-cultural meetings of Eastern masters and Western therapists, the Dalai
Lama was incredulous at the notion of “low self-esteem” that he kept hearing about. He
went around the room asking each Westerner there, “Do you have this? Do you have
this?” When they all nodded yes, he just shook his head in disbelief.
ダライ・ラマは、東洋の師匠と西洋の心理療法家による最初の異文化交流会で、
「自尊心の低さ」という概念を知って、信じられず、部屋の中を歩き回りながら西洋人
一人ひとりに「あなたも自尊心が低いのですか?」と質問しました。全員が頷いて
「はい」と答えたとき、彼は頭を横に振って、信じられない様子でした。
In Tibet, said Sogyal Rinpoche, a positive sense of self is assumed. It is inculcated early
and supported through all of the interdependent relationships that are established by
the web of family. If a person cannot maintain this positive feeling about himself, he says,
he or she is considered a fool.
ソギャル・リンポチェによれば、チベットでは自己肯定感が身についてあたりまえに
なっています。それは人生初期に植えつけられ、家族の網の目によって築き上げられた
相互依存的人間関係のすべてによって支えられます。もしも、自分自身に肯定感を
持てない人がいれば、その人は馬鹿者だと思われます。
In the West, the starting point is different. The Western psyche, it seems, is increasingly
vulnerable to feelings of alienation, longing, emptiness, and unworthiness――to
emotions that, from the Buddhist viewpoint, characterize the Realm of the Hungry
Ghosts. We feel unlovable, and we carry that feeling with us to all of our intimate
relationships, along with the hope and expectation that such relationships could
somehow erase that preexisting feeling.
西洋では、出発点が違います。西洋人の精神構造は、ますます疎外感、渇望、空虚感、
無価値感に罹りやすくなっています。仏教的視点から見ると、そうした感情は餓鬼の
世界の性格特徴です。自分は愛されないと感じ、その感覚を親密な関係のすべてに
持ち込み、親密な関係がその「愛されない感」を消し去ってくれるのではないかと期待
します。
As children, we sense our parents’ inabilities to relate to us, their tendencies to treat us as
objects or reflections of themselves, and we personalize their inattention, attributing the
lack of connection to our own failings. Children are almost self-referential in this way:
they will explain anything that goes wrong by blaming themselves.
私たちは、子どものとき、両親には自分にしっかりと関わってくれる能力がないことを
察知します。両親は私たちを物として扱うか、彼らの生き写しとして見なす傾向がある
ことを知ります。そして、私たちは「自分が悪いからつながりが持てないのだ」と、親
が充分な注意を向けてくれないのは自分原因があると思い込んでしまうのです。
このように、子どもはたいてい自己言及的なものです。うまくいかないことがあると、
すべて自分を責めてしまうのです。
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