しあわせになる英語 English for Happiness

日曜更新。人生に役立つバイリンガルの学び。

「エーリッヒ・フロム: 愛するということ」。その13。「愛するという技術」を磨き上げるためには、「信じること」を習練し身につけることが必要? “Erich Fromm: The Art of Loving” No.13――Is it necessary for honing “the art of loving” that you practice and attain “faith”?

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人生には、さまざまな「信じること(faith)」が必要ですが、「愛するという技術」を
磨き上げるためには、何よりも、「自分を信じること」が大切だと言います。「自由
からの逃走」など数々の名著で知られる心理学者エーリッヒ・フロムの解説に耳を
傾けてみましょう――バイリンガルで、どうぞ。

You need various “faiths” in your life, but most of all, it is said that ”faith in yourself” is
important for honing “the art of loving.” Let’s listen to the commentaries of Erich Fromm
who is a psychologist well-known for his masterpieces such as “Escape from
Freedom.”――more to come both in English and in Japanese.

 

 

 

The ability to love depends on one’s capacity to emerge from narcissism, and from the
incestuous fixation to mother and clan; it depends on our capacity to grow, to develop
a productive orientation in our relationship toward the world and ourselves. This process
of emergence, of birth, of waking up, requires one quality as a necessary condition: faith.
The practice of the art of love requires the practice of faith.

人を愛せるかどうかは、ナルシシズムや、母親や身内にたいする近親相姦的な病的執着
から、どれくらい抜け出ているかによる。また、外の世界や自分自身との関係において
生産的な方向性を育てる能力が、どれくらい身についているかにもよる。この脱却、
新たな誕生、覚醒の過程で、あるひとつの資質が必要条件となる。それは「信じる
ということである。愛の技術の習練には、「信じる」ことの習練が必要なのだ。

 

 

What is faith? Is faith necessarily a matter of belief in God, or in religious doctrines? Is
faith by necessity in contrast to, or divorced from, reason and rational thinking?

「信じる」とは何か。「信じる」というと、神や宗教の教義への信仰心がまっさきに
頭に浮かぶが、そのことなのだろうか。「信じる」ことは、必然的に、理性や合理的
思考とは対照的なもの、あるいはそこから分離したものだろうか。

 

 

Even to begin to understand the problem of faith one must differentiate between
rational and irrational faith. By irrational faith I understand the belief (in a person or
an idea) which is based on one’s submission to irrational authority.

「信じる」という問題について考える前に、まず理にかなった信念と、根拠のない信念
とを区別しなくてはならない。私のいう根拠のない信念とは、道理にかなわぬ権威への
服従にもとづいた、(ある人物や理念への) 信仰のことである。

 

 

In contrast, rational faith is a conviction which is rooted in one’s own experience of
thought or feeling. Rational faith is not primarily belief in something, but the quality of
certainty and firmness which our convictions have. Faith is a character trait pervading the
whole personality, rather than a specific belief.

それにたいして、理にかなった信念とは、自分の思考や感情の経験にもとづいた確信で
ある。それは、何かをやみくもに信じることではなく、私たちが確信を抱くときに
生まれる、確かさと手応えのことだ。信念は、人格全体に影響をおよぼす性格特性で
あり、ある特定の信条のことではない。

 

 

Thought and judgment are not the only realm of experience in which rational faith is
manifested. In the sphere of human relations, faith is an indispensable quality of any
significant friendship or love. “Having faith” in another person means to be certain of the
reliability and unchangeability of his fundamental attitudes, of the core of his personality,
of his love.

理にかなった信念があらわれる経験領域は、思考と判断だけではない。人間関係に
おいても、信念は、どんな友情や愛にも欠かせない特質である。他人を「信じる」こと
は、その人の基本的な態度や人格の核心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと
確信することである。

 

 

By this I do not mean that a person may not change his opinions, but that his basic
motivations remain the same; that, for instance, his respect for life and human dignity is
part of himself, not subject to change.

これは、人は意見を変えてはならないという意味ではない。ただ、根本的な信念は
変わらないのだ。たとえば、生命や人間の尊厳にたいする畏敬の念はその人の一部分で
あって、変わることはない。

 

 

In the same sense we have faith in ourselves. We are aware of the existence of a self, of
a core in our personality which is unchangeable and which persists throughout our life in
spite of varying circumstances, and regardless of certain changes in opinions and
feelings.

同じ意味で、私たちは自分を「信じる」。私たちは自分のなかに、ひとつの自己、
いわば芯のようなものがあることを確信する。どんなに境遇が変わろうとも、また意見
や感情が多少変わろうとも、その芯は生涯を通じて消えることなく、変わることも
ない。

 

 

It is this core which is the reality behind the word “I,” and on which our conviction of our
own identity is based. Unless we have faith in the persistence of our self, our feeling of
identity is threatened and we become dependent on other people whose approval then becomes the basis for our feeling of identity.

この芯こそが「私」という言葉の背後にある現実であり、「私は私だ」という確信を
支えているのはこの芯である。自分のなかに自己がしっかりあるという確信を失うと、
「私は私だ」という確信が揺らいでしまい、他人に頼ることになる。そうなると、
「私は私だ」という確信が得られるかどうかは、その他人にほめられるかどうかに左右
されることになってしまう。

 

 

Only the person who has faith in himself is able to be faithful to others, because only he
can be sure that he will be the same at a future time as he is today and, therefore, that he
will feel and act as he now expects to.

自分を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念
をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想して
いるとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。

 

 

Faith in oneself is a condition of our ability to promise, and since, as Nietzsche said, man
can be defined by his capacity to promise, faith is one of the conditions of human
existence.

自身にたいする信念は、他人にたいして約束ができるための必須条件である。そして、
ニーチェが言ったように、約束できるということが人間の最大の特徴であるから、信念
は人間が生きていることの条件のひとつなのである。

 

 

What matters in relation to love is the faith in one’s own love; in its ability to produce
love in others, and in its reliability.

愛に関していえば、重要なのは自分の愛にたいする信念である。つまり、自分の愛は
信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことで
ある。


  

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